みすず書房

読書エッセイ4冊目 山内昌之『歴史家の展望鏡』

[1日刊]

2017.11.27

『歴史家の羅針盤』からほぼ7年ぶり、小社からの読書エッセイ4冊目をようやく刊行できた。前著を継いで2014年までの文章を選収している。山内昌之氏については多くの著書やメディアへの登場で、その名をご存知の方も多いだろう。ご自身の公式ホームページ(http://yamauchi-masayuki.jp/)もあり、活動と関心の広さと大きさをうかがうことができる。

こんど『歴史家の展望鏡』を作っている間にも、モロッコとフランスに出張なさって、エマニュエル・トッドと討論。「あとがき」を書かれた後はハバロフスクとウラジオストクに出張、大雪に遭遇したという。こうした多忙のなかでいつ読書をするのかと不思議でならない。でも、本書に収めた「夢と記憶」の冒頭にはこんなことが書いてある。

「剣戟を振るう人間の強い個性を描く史料を読み、政治家の野心的な権力闘争の生々しい姿を日々眺める機会が多いと、つい静謐な時間が流れ穏やかな気分を呼び戻す書物に接したくなる。」

年末年始に読んだ保苅瑞穂『プルースト 読書の喜び』に触発されてのエッセイで、この文章自体が本書でひときわ静かな空気をただよわせている。よそのページで取り上げられる書目は、ジャック・アタリ『国家債務危機』にせよ、大石英司『尖閣喪失』にせよ、学術書、啓蒙書、小説にわたりつつ、現代世界の問題に迫るものが大半を占めているからだ。政治やビジネスの世界を生きる人物の評伝にたいする興味も強い。

本の選ばれ方はおそらく書評が掲載される新聞雑誌の読者を想定してのことであり、つまり今の日本社会を支えている人々が本という道具に求めている公約数が本書に表れているのだと思う。だがそれは著者の関心領域の一部にしか過ぎなくて、本書を通してわれわれが知るのは、もっと広大な書物の世界である。たとえばバルトリド『トルキスタン文化史』、たとえばプルタルコス『モラリア』といった古典。著者は、平凡社東洋文庫、京都大学学術出版会の刊行物から目を離さない。このへんが一般読者にとって実践の難しいところである。

定年で会社を辞めたらゆっくり古典を読もう。こんな決まり文句も最近は聞かれなくなった。当たり前である。忙しい年頃からずっと読書する生活を続けていなければ、いきなり本を買ったり読んだりはしないものだ。せめてこの硬派の読書エッセイ集を手にとり、時には「展望鏡」で背伸びをして、読書の幅を広げていただければ有り難い。「展望鏡」とは何物かも、本書のあとがきを読んでみて欲しい。「ああ、あれか」と思いだす方もおられるはずだ。