みすず書房

言葉にならないものを表現しなければならない

J・フェラーリ『原理――ハイゼンベルクの軌跡』 辻由美訳 [5月1日刊]

2017.04.26

本書の作者ジェローム・フェラーリは、前作『ローマ陥落についての説教』で2012年のゴンクール賞を受けた。次に何をどう書くのか、とうぜん注目されていた。そして、三年後に発表された小説『原理』がテーマにしたのは、ドイツの物理学者ハイゼンベルクである。1968年生まれのフランスの作家とハイゼンベルクのあいだにどんな関係があるのだろうか。地元コルシカの新聞のインタビューに対して著者が語っていることを、「訳者あとがき」から紹介したい。

  • ――ハイゼンベルクをテーマにしたのはなぜか。
  • 量子力学と出会ったのは、哲学科の学生だったときで、それ以来ずっと関心をもちつづけている。最初の作品『アレフ・ゼロ』(2002年)ですでに量子力学をあつかった。とくにハイゼンベルクには興味があって、彼の著作で、フランスで入手できるものはぜんぶ読んでいた。
    けれど、ハイゼンベルクについて書くには、実際にドイツに行き、その土地や空気になじむ必要があった。外国人を主人公にするとき、いちばん警戒しなければならないのは、自分たちがその国の人たちに対してもっている先入観を、気づかないうちに忍び込ませてしまうことだ。それを避けるために、私の著作のドイツ語版の出版者でもあり、翻訳者でもある人に手稿を見せて、チェックしてもらった。
  • ――量子力学に対する関心はどこからくるのか。
  • 言葉にならないものを表現しなければならないという面において、詩と科学のある側面とには、つねに明白な関連性があると、私は思っている。当時、量子力学の分野で研究していた科学者たちが直面していたのは、われわれ人間の感覚ではとらえられない現実をあらわす言葉や描像をつくりだすことだった。それこそ、まさしく文学の問題だ。
  • ――ハイゼンベルクがナチス政権の時代に演じた役割については、異なった見解が対立している。あなたがハイゼンベルクについて書こうとおもった動機のなかに、この問題も含まれていたか。
  • 当初の動機には、まったく含まれていなかった。私の関心の中心はあくまでも彼の理論的研究だった。しかし、彼が第二次大戦で果たした役割は謎めいていて、当然、その点にも興味をもった。
  • ――ナチスの時代のハイゼンベルクについてどう思うか。
  • ハイゼンベルクには自分を責めなければならないようなものは何もない。私は、ハイゼンベルクがヒトラーに原子爆弾をあたえようとしていたとは、まったく思っていない。彼が、1933年にドイツにとどまるという決断をしたことは、きわめてまずい選択だった。それを今の時点で言うのは簡単だ。彼にそうせざるをえなくさせた理由は、私には理解できるし、そこには恥じなければならないようなものはない。自分の国に対する愛着と、そこで進行している政治の恐怖とのはざまで、どれほど精神的な苦しみをあじわったかも、想像できる。ハイゼンベルクをもっとも激しく批難する人たちでさえ、誰もハイゼンベルクが反ユダヤ主義者だったとは言っていない。
  • ――これまでのあなたの本には、かならずコルシカ島がでてきた。けれど、この小説にはコルシカ島が出てこない。全国的な作家になったことで、コルシカからの文学的自立の一歩をふみだしたのか。
  • とんでもない。あいかわらずコルシカ離れができずにいる。1920年から1946年のドイツについて語る小説においてさえ、コルシカを登場させずにはいられなかった。

以上がフェラーリのインタビューである。小説『原理』が基にしているのは、ハイゼンベルクの自伝『部分と全体』(小社刊)の他に、未刊のものを含めたハイゼンベルクが書いた言葉だという。その結果として浮かび上がる物理学者の姿を、ぜひともごらんください。