みすず書房

「意識がない」とわかるほど我々は「意識」をわかっているのか。『生存する意識』

エイドリアン・オーウェン『生存する意識――植物状態の患者と対話する』柴田裕之訳

2018.09.25

エイドリアン・オーウェンのことを初めて知ったのは科学雑誌『ネイチャー』のニュース記事でだった。「意識がない」植物状態と診断された重篤な脳損傷患者と意思疎通することに彼が成功して、患者さんたちは彼の質問にYesかNoかで答えた(!)という内容だった。fMRI(脳の活動を画像化する大掛かりな装置)の中に横たわる患者さんに、「質問への答えがYesなら、テニスをしているところを想像してください」と呼びかける彼の手法のキテレツさにも啞然とした。なぜにテニス? 新刊の『生存する意識』はオーウェン自身がこの研究の成り立ちや、そこでわかってきたことを詳しく語った本だ。医者やケアスタッフからは長い間「意識がない」と思われていたのに、オーウェンのやり方で意識が確認された何人もの患者さんたちの事例が出てくる。この本を読む前と後で、「植物状態」というものの理解が根底から変わる読者も多いのではないだろうか(私もその一人です)。そのためだけにでも、本書は多くの人に読まれる価値があると思う。

オーウェンによれば、なんらかの形で意識があるのは、「植物状態」と診断されている人々全体の15%以上にものぼるかもしれないそうだ。それともう一つ、同じぐらい大事なのは、そうした患者さんたちの状態はじつはきわめて多様であるという指摘だ。外見的にはみな同じような不活発な状態に見えても、fMRIを通じて見えてくる状態はひとりひとりまったく違うという。いまの医学がまだ理解しきれないさまざまなケースが、「植物状態」というカテゴリーにとりあえず放りこまれているのかもしれない。本書を読んだあとではいかに忙しい医療スタッフも、患者さんにことわりもせずにいきなり口から挿管して肺から吸引したりする気にはとてもなれないだろう。

オーウェンのやり方はいわば、他の方法では確認できなかった「意識」をfMRI画像という形で可視化するものと言える。けれど、患者さんたちの意識そのものを見ているわけではない。患者さんの意識に働きかけて、意識から「意図」を引き出し、その「意図」が生み出す脳活動をfMRIで確認している。譬えて言えば、透明人間を探しているときに、透明人間に呼びかけて数十秒間だけ手袋をしてもらうことに成功したようなもので、依然として本体は透明だし、追跡できるのは全体のごく一部でしかない。実際オーウェンの本を読むと、いかに意識について現在の神経科学は五里霧中かということがわかる。オーウェンのやり方ではまだどうにも検出できないたぐいの意識もあって、そのようなケースがどのくらい潜在しているのかもまったくわからない。

もしかしたら、fMRIを使っているうちはどう逆立ちしても「意識」の正体はつかめないのかもしれない。脳波研究のエキスパートであるG・ブザーキは著書『脳のリズム』(日本語版は2019年刊行予定)の中で、フーリエ変換を使うfMRIでは平均化されて「なかったこと」にされてしまう、短命のノイズのような神経活動が、精神の働きを解明するうえでじつは決定的に重要かもしれないと示唆している。そもそも「意識」の正体がわからないうちは、「ある種の活動が見られたら意識がある/それが見られなければ意識はない」というのはどこまでいっても便宜と科学的錯覚を含んだ診断手続きにしかならない。本書に出てくるスコットという患者などは、従来の診断基準では「意識がない」と判定されていたのに、じつは完全に近い認識機能が保たれていた。私たちの医学や科学が意識や脳について解明できている部分が仮にあるとすれば、間違いなくそれは氷山の一角のそのまた一画で、要するにほとんどなにもわかっていないということだと思う。脳や意識について多少ともわかっているつもりになるにはまだ早すぎるのだろう。

この本を読んでいると、そもそも「意識」なんて概念に捉われないほうが患者さんたちひとりひとりの状態をありのままに理解できるんじゃないかとすら思えてくる。脳神経科学の分野では“意識の座”とか“意識が生まれるメカニズム”みたいなものを血まなこになって探してきたわけだけれど、じつは「意識」というのは実体のない、「愛」なんかと同じような抽象概念なのかもしれない、と。仮に「意識」が人工的な抽象にすぎなくても、だからといって「意識」として括られているさまざまな内面の認知活動が何の力ももたないということにはならない。本書の事例はどれもむしろ「意識」の威力を見せつけるものだ。生命力の源として、「意識」の力は計り知れない。

さらにもう一つ、「意識」は個々人の頭蓋の中だけにあるのかという疑問もわく。オーウェン自身は本書の終盤、「意識」はある面では個人の身体を超えて他者との関係の中へ広がっているものかもしれないという見方を取り込んでいく。そしてそれは、福祉の現場ではとうの昔から常識なのかもしれない。最近NHKのとあるドキュメンタリー番組で、重い知的障害があって長いあいだ能動性も乏しかった人が、周囲のケアが変わったことで自分の意志をはっきり示すようになったり、食事等の日常行動を能動的におこなうようになったりした事例について紹介していた。介護担当の方は当然のように「意識は人との関係がつくるものですから」と仰っていた。

それはまた別の意味の「意識」だろうか? もし本書を読んでいなかったら私もそう思ったかもしれない。でもたくさんの現場経験のある介護のプロと、たくさんの植物状態の患者さんたちの脳をスキャンしてきた神経科学者が、それぞれにたどりついた認識が、ものすごく似ていて線引きしにくいときには、違う次元の話だと片づけてしまうことのほうがおかしいのかもしれない。意識とは何かという問題に関心のあるみなさんには、ぜひ本書を読んでみてほしい。

(編集担当:市原)

『生存する意識』著者エイドリアン・オーウェン講演動画

  • 『生存する意識』著者講演動画

「意識の探求━━エイドリアン・オーウェン、TED×ウエスタン大学」

「意識の探求」