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2019.05.14トピックス

学問的自伝の色合いを帯びた美しい回想録に導かれるモノグラフ集成

半澤孝麿『回想のケンブリッジ――政治思想史の方法とバーク、コールリッジ、カント、トクヴィル、ニューマン』

カバー画は、19世紀に出版された本の挿絵からとったもので、ケンブリッジ大学クレアー・カレッジのケム川沿いの風景を描いている(A. C. Pugin, Clare Hall (Clare College), in R. Ackermann, A History of the University of Cambridge, 1815 (ファクシミリ版Ackermann’s Cambridge, Penguin Books, 1951))。1970年から71年にかけて、著者が最初にケンブリッジ大学に留学したとき、絵と同名のクレアー・ホールに所属した。クレアー・ホールは1966年に設立されたばかりの、当時「「抑圧的なまでに民主的」(oppressively democratic)というジョークが誇らしげに語られる」「進取の精神に充ち溢れた」小規模カレッジ(本書7頁)だった。その母体がクレアー・カレッジで、ホールのメンバーはカレッジの庭園に自由に入る特権が与えられたという。

美しいエッセイ「回想の「ケンブリッジ学派」」を導入として、緊密に編み上げられた政治思想史モノグラフ集成である。深く印象づけられるのは、著者の研究の歩みの驚くほどの一貫性ではないだろうか。人は一生で一つの歌しか歌えないのであろうと著者は序章に書き、あとがきにもう一度くりかえすのだけれど、〈近代〉とは、〈自由〉とは、〈政治〉とは、という真摯で誠実な問いかけは、六十年以上にわたる研究生活の始まり以来、いやそれ以前に生い立ちの中からずっと、まっすぐに継続されてきているようなのだ。それも、いつもきわめてイギリス的に〈帰納〉的に。むろん、たんなる継続ではない。歴史的な政治思想史を求め、方法意識の明確化から、やがてヨーロッパ二千年を貫くキリスト教的自由意志論思想史へ、その大スケールの通史=仮説的歴史物語の構想からふたたび、それを補完するものとしてのモノグラフへ。そのダイナミズムと、なおその内から響く一つの歌なのである。

本のカバー裏で二つに分けて紹介した文章は、こう繋がっている。

私には、その後の研究人生の中で、長い時間をかけて少しずつ自覚化されてきた目標がある。その目標とは、最も広い意味で運動論とは距離を取ることを心掛けながら、思想家たちがそれぞれ遭遇した状況の中で、所与の言語的資源の制約のもと、いかにそれを最大限に利用して対処したかを、及ぶ限りの想像力を働かせて描き出す努力をすることである。私の考えでは、思想史研究が対象とするのはあくまで思想家個人の精神である。自明のことであるが、すべての思想家には個人としての経験と実存がある。特定の理論言語によるその体系的表現が思想であろう。もちろん、およそ思想家と呼ばれるほどの人物には多面性が常に伴う。研究者は、その多面性の構造と理由に対して最大限の尊敬を以て接しなければならない。そして、その思想家が論じた事柄が何らかの意味で政治と深い関わりを持つ時、私たちは彼/彼女を政治思想家と呼ぶ。ところで、平時から最悪の混乱状況に至るまで、政治の中で人が問われ、また賭けるのは、最終的には自らの個人的信条と判断である。思想〈史〉と呼ばれるものも、本質的には、そうした個人的な信条表現を記述したものの堆積以外ではありえない。これは一見抽象的な言明に聞こえるかもしれないが、思想史の方法手続きとして具体的に言えば、思想家たちの実存を知るべく、彼らの発言の背後にある伝記とその周辺を極力重視するということである。他方、彼らを〈学派〉や〈主義〉に分類するのにはきわめて慎重でなければならない。
(19頁)

あるいは、忘れがたい一節にふと出会う。

歴史家は旅をしなければならないと私は常々思っているので
(9-10頁)

また、「トルソに終わった」と述懐する初期エドマンド・バーク論について、その理由を「私にはバークの人間性に対するある種の疑念を払拭することができなかったためかもしれない」(29頁)とし、いっぽう、この新著のために書き下ろされたジョン・ヘンリー・ニューマン論において、「ただ一つ、聴衆を魅了した彼の説教の音楽的効果と、その背景にあると思われる音楽体験についてだけは短く述べておきたい」として特筆する、ニューマンが生涯ヴァイオリンへの情熱を抱いていたこと(235-6頁)、こうした筆致に滲む率直さ――。著者自身ヴァイオリン奏者で、戦後まもない一時期、弦楽合奏団で楽器を弾いて働いた経験があるのだ。

人文書と呼びたい。専門研究の枠をゆるやかに越え、知的楽しみの読書にいざなわれる本。開いて頁を追っていただきたい。




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