みすず書房

科学者が軍事研究に手を染めるべきではない。序章より抜粋(2/2)

池内了『科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』

2019.05.24

科学者の責任として著者は本書を書き下ろした。
ストレートに執筆の意図を伝える序章(抄)を以下でお読みになれます。

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序章 新しい科学者倫理の構築のために(抄)

池内了
本書の予定

そこで本書では、科学者の軍事研究への関わりについての考察と、特に若い科学者に向けた助言を提示したいと思っている。これまで、軍事研究の歴史的な経緯については『科学者と戦争』(岩波新書、2016年)、最近の動向については『科学者と軍事研究』(岩波新書、2017年)に書いたので、これ以上語るべき事柄があるのかと言われそうだが、「なぜ軍事研究に手を染めてはならないか」を正面に据えた科学者の倫理規範として書くことにしたのである。

ここで本書の構成について述べておこう。

第1章の「科学者と戦争」においては、数々のエピソードを交えながら、科学者が戦争や軍事研究とどのように関係してきたかをまとめる。科学者の戦争への個人的な参加、そして組織的動員が行なわれた二つの世界大戦の状況を振り返る。いずれにおいても、科学者たちは戦争に大きく関与したのである。さらに人類の歴史における三つの軍事革命について整理しておく。

第2章では、軍事研究に携わり、戦争に協力した「科学者たちの常套句」をまとめる。戦争となれば愛国者になれ、戦争はこれで起こらなくなる、新しい武器は人道的である、誰もがやっているのだから、等々の言葉が吐かれる。これらの言は、軍事開発に関わった科学者として自分の「業績」を誇るとともに、何がしかの言いわけ・弁解・逃げ口上が含まれている。心中では、自分のしたことに対する痛みを覚えているためでもあるのだろう。どう言おうと、科学者は自分の知識が軍拡・戦争に使われることに社会的責任を負わねばならない。

第3章では、「非戦と軍縮の思想」についてまとめる。近代に入って兵器の非人道性を問い、それに違反するような武器の禁止を取り決める国際人道法が話し合われるようになった。第一次世界大戦後には「国際連盟」が、第二次世界大戦後には「国際連合」が設立され、原則的には武力によらない平和の獲得が謳われた。人類は戦争を追放するための活動も続けてきたのである。これらとともに、核兵器廃絶のための科学者の運動や軍事研究を拒否した日本学術会議の声明を振り返っておく。

第4章では、科学者の軍事研究の誘い水となっている防衛装備庁が創設した「安全保障技術研究推進制度」の概要と問題点をまとめ、公募要領等での表向きの言葉の裏に潜むこの制度の危険性を見ておきたい。防衛装備庁は本音を覆い隠しつつ、科学者の気を惹き応募しやすいよう形式を整えているのである。特許の帰属問題や委託契約終了後の関係についても注意を喚起しておく。

第5章では、「科学者たちの反応」として、まず日本学術会議が2017年3月に決議した「軍事的安全保障研究に関する声明」について詳しく論じる。さまざまな重要な提言や警告が含まれた、科学者の軍事研究についての重要な文献である。さらに、科学者の許容論について検討しておく。許容論の背後には、さまざまな思惑、要求、不満、自衛論があり、それらについて吟味する。特に学問の自由からの軍事研究許容論に論駁を加えておく。

第6章では、今いちど「なぜ軍事研究に手を染めてはならないか」と問い直し、プロフェッションとしての科学者が社会からどのような負託を受けているかを考えてみた。大学の教員は教育者として次世代の人間をどう育てていくべきかの重大な責務を負っていることもある。そのような立場から、軍事研究がもたらす教育現場への負の効果をしっかり検討し、科学者としてどのような倫理規範を身に付けるべきかを提示した。

終章の「現代のパラドックス」では、本格的な戦争が行なわれなくなったのに、軍事予算は増大し軍事研究も盛んに行なわれている、そんな現代の異様さを短くスケッチしようと思う。

copyright© Satoru IKEUCHI 2019
(著者のご同意を得て抜粋転載しています)