みすず書房

「本書は原爆投下から70年を経て生まれた奇跡」(繁沢敦子)

スーザン・サザード『ナガサキ――核戦争後の人生』宇治川康江訳[7月1日刊]

2019.06.19

「5人の被爆者の人生を通して織りなす包括的な被爆史研究」
「被爆地の問題、核兵器の問題を考えるうえで必要不可欠」
繁沢敦子・神戸市外国語大学英米学科准教授より本書をめぐるエッセイをご寄稿いただきました。

「共感」がもたらした70年後の奇跡

繁沢敦子

人との出会いが思わぬ展開を招くことがある。出会いを求めるというのは、そういうことへの期待があるからだろう。ときとして宿命ではなかったかと思うような、予期せぬ出会いも存在する。本書『ナガサキ』の著者、スーザン・サザードと谷口稜曄との場合がそうではなかろうか。そのふたりが出会って本書が生まれた。本書が存在するいま、存在しない世界はもう考えられない。被爆地の問題、核兵器の問題を考えるうえで本書はそれほど必要不可欠に思える。

ヒロシマとナガサキ。日本に存在するふたつの被爆地は、核兵器廃絶という目標に向けて協調してきた。一方で「世界最初の」という頭書きがつくヒロシマに対して、ナガサキへの世間の脚光は控え目でありがちだった。それはしばしば「もうひとつの」「同じような」観光地としての位置づけでしかなかった。どうして異なる種類の核兵器がわずか3日後に使われなくてはいけなかったのか、という視点は日本でもしばしば欠けていた。また、広島への原爆投下の事実が周知されていれば、失われずに済んだ可能性のある命を救えなかったことの責任追及もされてこなかった。

原爆の特徴のひとつに放射線の影響がある。白血病やガンなど長期間にわたる健康被害が発生した。その影響はまだ進行中である。検閲によって情報が封じられ、安全保障条約に代表される戦後の日米協調路線の枠組みにおいて、こうした被爆の実相を世界に知らしめる機会も限定されてしまった。その功罪は想像以上に大きい。被爆者に対するメディアの質問が被爆当時のことに集中しがちであることはそのあらわれであろう。

ナガサキ以降、実戦において核兵器が使われたことはまだない。しかし、語り尽くせないほどの問題や議論が過去74年間、原子力や被爆者をめぐって起こってきた。国際的な文脈では、米国による原爆投下の決断や真珠湾攻撃に象徴される日本の開戦責任、あるいは南京大虐殺や捕虜の虐待など日本の戦争犯罪との絡みで論じられる因果応報論。核軍拡競争と核拡散。日本国内の文脈においては、被爆者援護や認定被爆者について、そして原子力発電と使用済み核燃料の再処理や処分の問題などである。被爆後の歴史、社会問題は、被爆史研究、被爆社会文化研究という学問的領域が成立するほど厚みがある。

そうしたなか、本書は5人の被爆者の人生を通して織りなす包括的な被爆史研究となっている。そこで描かれているものには、たとえば占領期の検閲や原爆傷害調査委員会(ABCC)による被爆者の追跡調査、核兵器廃絶を訴える被爆者運動がある。しかし、何よりも、5人の被爆者ひとりひとりがさまざまな肉体的、精神的トラウマを抱えながら生きる姿が、すべてを物語っている。

被爆体験とは、1945年8月に原爆に遭ったことだけを言うのではない。その後も受け続けた影響をも含めなければならないのだ。本書は、家族を奪われ、みずからの体も傷つけられながら、それでも生き残って「与えられた命」を精いっぱいに生きた彼らの、70年間の闘いの記録である。そこには、彼らの闘いに共鳴した作家がいた。

筆者は、原爆に遭った者と遭っていない者を断絶しがちな「被爆者」という存在ではなく、ひとりの人間としての姿を浮き彫りにした。筆者が何度も海をこえて長崎に足を運び、信頼を築いたうえで語られた彼らの人生。それによって私たちは彼らの想像を絶する経験のみならず、たとえば吉田勝二が息子の言葉に救われた瞬間に、永野悦子が半世紀を経て母親と心を通わせた瞬間に立ち会うことができる。

しかし、なんというタイミングなのだろう。冒頭で「宿命」という言葉を使ったが、出会いはたんに待っていただけでは起こらなかった。谷口が闘いに挑んでいなければ出会いもなかったのである。サザードとの出会いは、間違いなく谷口が蒔いた種のひとつであった。その種が今度はサザードの手で大事に育てられ、適切な時期に適切な場所で、花を咲かせた。本書は原爆投下から70年を経て生まれた奇跡である。

国家の核政策を前に、はたして個人は何ができるのか。無力さを感じることは少なくない。しかし、本書を読んで確信をもつことができた。人は強く生き抜くことで、その人生を台無しにすることもできる国の政策さえ超越することができる。人の生きざまが他者の心を動かすとき、共感が波のように広がり、何かが生まれる。それは世の中を動かす原動力になる。本書が核大国アメリカで生まれ、アメリカ人によって読まれていることに、私は大きな希望を見いだす。

著者の誠実な思いに心を開いて語った人たちがいる。彼らがこれほど赤裸々にみずからの人生を語るのは、もちろん、自分たちのような思いをする人が二度とあらわれてはならないという強い決意があるからだ。戦争をするのも人間であれば、彼らの思いを受けとめ、ここまでの筆致をもって伝えられるのも人間である。今度はそれを聞くのが私たちの番だ。

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(出版情報紙『パブリッシャーズ・レビュー みすず書房の本棚』
2019年6月15日発行号より、筆者の許諾を得てここに転載)