みすず書房

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シャンジュー/リクール『脳と心』

合田正人・三浦直希訳

たとえば、ジャン=ピエール・シャンジューのこんな発言。

「われわれの神経系は散在性の細胞的実体、すなわちニューロンから合成されていて、それらが不連続なネットワークを形成しています。これらのニューロンはシナプスを介してしか疎通することができません。(…)各々のシナプスはバクテリアとほぼ同じ大きさです。大脳の機能的有機組織の了解は、数々の個体的な神経細胞のあいだに確立された諸結合の解剖学的研究を経由します。この宇宙は尋常ならざる豊かさを伴っています。そればかりか、これらの宇宙同士はまぎれもない双生児ではありますが、たとえそうだとしても、ある個体と別の個体のあいだで完全に同一であるわけではありません。シナプスのこの森を探索することは神経生物学者にとっての幸福ではありますが、その絶望でもあります。なぜなら、これらのシナプス全体のあいだにありうべき結合、それも一定の効能を有した結合の数は、宇宙のなかで正に荷電された粒子の数に匹敵するからです。結合の機能的可変性を考慮するなら、こうした結合関係の限界はさらに遠のいていきます。こうして『春の祭典』がストラヴィンスキーの大脳のなかで練成され、システィナ礼拝堂がミケランジェロの大脳のなかで練成されえたのです。ただ、これらの創造が証示している有機的組織化の諸規則をなおも理解しなければならないのですが……」

最後の「こうして」以下の展開に、シャンジューの著作の愛読者なら格別驚きはしないだろうが、やはり驚くべき跳躍であり、跳躍することへの並々ならぬ意志がうかがえる。神経生物学者のめざすべきはストラヴィンスキーの作曲過程、ミケランジェロの絵の製作過程で大脳に何が起こっているかをとらえることだという。いまだ到達されていないとしても、その筋道を見つけ出すこと。美的創造のみならず新たな倫理の創造を自然科学と哲学の新たな架橋のなかで垣間見ること。これは本書の最終目標でもある。
一方のポール・リクールは、現象学受容第一世代のひとり。固有の距離を置きながら精神分析、言語学、宗教学、歴史学などを批判的に摂取しつつ、20世紀フランスにおいてもっともバランスのとれた哲学者(2005年没)であり、その守備範囲からいってもっとも対話者にふさわしかった人物といえるだろう。強靭な思考と思考とが妥協することなくぶつかりあい、しかもみずからを開くことを課しつづけたダイアローグ。全編にこだましているのは、「身体がいったい何をなしうるかを、これまで誰も確定してこなかった」――スピノザ『エチカ』の一節である。




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