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『心は遺伝子の論理で決まるのか』
キース・スタノヴィッチ 椋田直子訳 鈴木宏昭解説
人の心を遺伝子はどこまで規定しているのか? 人が「心を決める」とき、“利己的な遺伝子”と人間本体のどちらにとっての合理性が追求されているのか? そして、人はなぜ合理的な考えに自ら背くのか? 本書はこれらの問いをめぐる特に重要な理論や実験、論争を概観するところから始まる。
目次にある、「進化心理学はどこで道を誤ったか」「合理性障害」といった挑発的な見出しにドキっとさせられるが、ヒトの認知に関する進化生物学の洞察を頭から否定する議論とはまったく違う。この著者はむしろネオダーウィニズムや進化心理学の成果に、何よりもまず脱帽しているのだ(!)。そのうえで、学習障害や教育の課題に認知心理学的なアプローチで取り組んできた専門家としての、見解の違いも明らかにしている。「合理性の問題に関するかぎり、進化心理学は極端な外挿をしすぎてきた」という表現の裏にある、認知心理学のアプローチと進化心理学のアプローチの違いを、本書は浮き彫りにしている。
いや、それだけでなく、人間の「合理性」をめぐるさまざまな学問分野のベクトルの違いを本書は垣間見せてくれる。かならずしも合理的でない経済人の“合理性”を探る行動経済学者やアマルティア・セン、社会のなかでの人間行動の“合理性”を探る社会学者や、ロバート・ノージック、人間の推論の“合理性”の意味を探る哲学者、等々。「合理性」はあらゆる学問分野をつなぐ普遍的なテーマでもある。本書は幅広いレファレンスを挙げて、「合理性」のキーワードでつながる様々な分野への入り口を提示している。
ことほどさように無数の観点からの合理性があり、私たちはしょっちゅう合理性どうしの衝突に悩むことになる。本書の終盤で著者が取り上げているのは、この葛藤をいかに扱えばいいのかという問題だ。合理的選択理論、gut instinct(直感)、その他どんな引き出しを漁っても、この葛藤に対処するための黄金則などはでてこないと著者は考える。かわりに著者が提唱するのは“ノイラート的な営み”で、その中身については本書を読んでいただきたいが、ほとんど愚直ともいえる思考スタイルとだけここでは明かしておこう。
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