みすず書房

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『ブロデックの報告書』

フィリップ・クローデル 高橋啓訳

フィリップ・クローデルというフランス作家の名が日本で知られるようになったのは、第一次大戦を時代背景にした長編『灰色の魂』が小説の読み巧者たちによる注目を浴びた2004年からである。大都市ではなく北部の小さな町を舞台に、タイトルそのまま、ほの暗い現実世界のなかを動きまわる個性的な登場人物たち。ミステリー・タッチをそなえながら、ジャン・ジオノの系譜というか、フロベールの雰囲気というか、どこか古典の風格をそなえている、というのが書評の一致するところであった。

ところが、これに続く『リンさんの小さな子』は、アジア系難民の老人がフランスの港町で遭遇する運命を簡潔きわまりないスタイルで語る小品である。『灰色の魂』のファンは首をかしげながら、そのシンプルな作風にも感心せずにはいられなかった。作家の川上弘美さんによる読売新聞の書評が『リンさん』の売れ行きに火をつけた。「幾つも書評を書いてきたが、小説の流れてゆくさまばかりを、こんなふうに書きたくなるのは、私にとっては生まれて初めてのことだ。ただそれだけの、物語。そして、それ以上、何もつけ加える必要のない物語。私の拙い感想も、説明も、何もいらない、ただゆっくりと文章を追い、たぐいまれな悲しさと美しさを湛えた最後の行までの物語を、あまさず読んでほしい」(2005年9月)。泣かずにはいられない小説、いちばん心に残った小説……。読者のありがたい口伝えのおかげで『リンさんの小さな子』は多くの人に広まり、年明けの『ダ・ヴィンチ』誌では「絶対はずさない!プラチナ本」の年間ベストにも選ばれた。

この次はいったい、どんな作品になるのだろう? 作家本人にもプレッシャーがあったことと思うが、『ブロデックの報告書』はこれまでの二作を合わせて大きくしたような物語となった。他者への恐怖から生まれる蛮行と悲惨、人間の絶望と尊厳、そのなかに微かに見える希望……いままで文学で書き尽くされているかに思えるテーマを正面から見据えながら、クローデルが円熟した筆致によって読者を運んで行く先は、人間心理の普遍的な深みである。アマゾン(フランス)のカスタマーレビューには五つ星の連続、「素晴らしい」「衝撃的」「大傑作」などの評語とならんで「忘れられない本」というコメントが多いのも納得できる。そして2007年度の高校生ゴンクール賞に満場一致で決まった事実も、これほどの大作を読み切った大勢の高校生が心を動かされた証明になるだろう。

文学の底力を示してみせた『ブロデックの報告書』は、読み出したら止められない小説である。そして読み終えたら忘れられない小説である。書店で見つけたら、ぜひ手に取っていただきたい。




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