みすず書房

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『アドルノ 文学ノート』 2

三光長治・高木昌史・圓子修平・恒川隆男・竹峰義和・前田良三・杉橋陽一訳 [全2巻・完結]

1963年6月7日、ベルリンでのヘルダーリン協会年次総会におけるアドルノの講演について、『ヘルダーリン年鑑』には、こう記されている。

夕方、会員と来賓たちがあらためてアカデミー大広間に集合した。広間は午前と同様、最後の席まで埋まった。テオドール・W・アドルノが〈パラタクシス――ヘルダーリン後期の抒情詩の哲学的解釈〉の題で語った。……この講演ほど熱狂的な議論を呼び起こしたものはかつてなかった。聴衆はなお長い間、活発に議論しながら、芸術アカデミーのロビーに留まっていた。

『ヘルダーリンの詩の解明』はじめ、ハイデガーのヘルダーリン解釈が学会に色濃い影響を与えていたその時代、アドルノはハイデガーの見解に総力を挙げて対峙した。この講演の翌年に『ディ・ノイエ・ルントシャウ』誌に増補版として発表され、本書に収録した「パラタクシス――ヘルダーリン後期の抒情詩に寄せて」は、それから半世紀近くが経とうとしている今もなお、ショックを与えつづけている。

この論文の意味は、たんにヘルダーリン解釈にとどまるものではない。ドイツを象徴する一詩人を主題としながら、そこにハイデガー思想の陥穽を指摘するいっぽう、ベンヤミン同様、細部に拘泥しながら、そこから生きた思想を引き上げようとするこの論文は、「思想とは、哲学とは何か」を考えるための試金石ともいえるだろう。それはまさに、本書の「解説」で前田良三先生も書かれているように、「二十世紀の批評が達成したもっとも透徹したメタ・クリティク(自己省察)」にほかならない。

本書収録の各編のタイトルや主題は一見地味にみえる。しかし、そこに見え隠れするアドルノ思想のうねりを、「パラタクシス」同様、読者の皆さまには、しかと見届けていただきたいと思います。ちなみに、「パラタクシス」とは、ギリシャ語の文章論に由来し、文、文成分の「並列(関係)」のことのようです。




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