みすず書房

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益井康一『漢奸裁判史』

1946-1948[新版] 劉傑解説

汪兆銘の南京政府要人らに対する、蒋介石の重慶政府および共産党政府による日中戦争後1946-48年の裁判史。もと新聞社特派員だった著者が臨場感あふれる筆致で描き出した基本図書(初版1977年)に、『漢奸裁判』(中公新書、2000年)の著者・劉傑の解説を付し、新版としてお届けします。

川島芳子と李香蘭と「漢奸裁判」

「民国34年(昭和20年)の双十節(10月10日)――。この日平清地区の日本軍は紫禁城で降伏文書に正式調印を行ったが、その日、「東洋のマタ・ハリ」として有名な男装の麗人、川島芳子が北平で逮捕された。彼女を捕えた者は、二年間も彼女の隠れ家にボーイとして雇われていた男であった。」(本文より)
「一方まだそれよりもはるかに大きくて、深刻な悲劇が上海に巻き起こっていた。それは中華電影公司に吹きまくった粛奸の嵐であった。この映画会社は南京政府が、中国電影事業統辨法に基づき組織したものであるが、勿論それは華北電影とともに、日本側が大陸にもっていた映画国策推進の重要な文化機関であった。」(本文より)

川島芳子と李香蘭。日中戦争を舞台として、数奇な人生をたどった二人の女性は、数々の映画、ドラマ、小説に描かれている。最近では、テレビドラマ『男装の麗人――川島芳子の生涯』(テレビ朝日、2008年12月6日)で、二人のあいだに親交のあったエピソードとして、黒木メイサが演じる川島芳子が、自らが開業した料亭で、堀北真希が演じる李香蘭に、歌を披露してもらうというシーンがあった。川島芳子(本名、愛新覺羅顯シ〔王編に子〕)は、清の皇族の王女でありながら、日本人の養女として日本に育ち、その後中国に戻り、諜報活動を通じて日本軍に協力する。一方、李香蘭(本名、山口淑子)は、中国で生まれた日本人であることを隠して、中国人として中国芸能界にデビュー、満州映画会社や、大ヒットした中華電影公司の『支那の夜』に出演し、また歌手としても人気を博する。そして、戦後、二人は「中国人にして、敵に通謀し、反逆罪を犯した売国奴」、つまり「漢奸」の容疑をかけられることとなる。

本書『漢奸裁判史』は、川島芳子や映画スターはもとより、汪兆銘国民政府の関係者、陳公博、周佛海、陳璧君他に対する、蒋介石国民政府および共産党政府による、日中戦争後の裁判の記録である。1945年まで、中国で毎日新聞社特派員として取材をしていた著者が、中国の新聞やラジオの情報をもとに構成し、1977年に小社より刊行した。著者は、「漢奸裁判」の裁判記録は残っていないと記していたが、その後、中国により史料が公開された。そこで、この度、著書『漢奸裁判』(中公新書、2000年)、編書『1945年の歴史認識』(東京大学出版会、2009年)のある、早稲田大学教授・劉傑による、一次史料に基づく「解説」を付して、新版としてお届けする運びとなった。日中の歴史認識の再考が改めて問われている現在、その一つのきっかけとなることを願っている。

さて、ドラマ『男装の麗人――川島芳子の生涯』において、真矢みきが演じる晩年の川島芳子が、裁判の法廷で、「私は心から中国を愛している。日本国籍を持ちつつも清朝に忠誠を誓っていた。」と、対日協力者の複雑な感情を象徴する発言を行う。ところが、日本人の養女ではあったが、戸籍に入っていなかったことがわかり、その後、紆余曲折があったが、最終的には死刑の判決が下される。一方、李香蘭は、日本の戸籍を提出し、国外追放となり、日本に帰国することとなった。




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