みすず書房

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徐京植『汝の目を信じよ!』

統一ドイツ美術紀行

1937年7月、ナチ政権はミュンヘンで二つの展覧会を同時に開いた。大ドイツ美術展と退廃美術展である。前者には「土と血」に表象されるナチ・イデオロギーの宣伝を目的として、もっぱら「労働」「家庭」「戦争」「理想的肉体」といったテーマを扱った作品が陳列された。後者の退廃美術展は、ナチズムの理念に反する芸術を公衆のさらしものにし愚弄する目的で開かれた。結果、大ドイツ美術展には60万人が、退廃美術展には200万を越える観客が集まった。この数字をどう読むかについては、議論の分かれるところだろう。

著者が心揺すぶられたのは、もちろん、退廃美術展で展示された画家たちである。「エセ宗教画」と呼ばれたエミール・ノルデ、労働者などをことさらに醜く描き、輝かしいドイツ芸術の伝統を毀損したとして非難されたオットー・ディックス、「ボルシェヴィキ芸術」の烙印を押されたジョージ・グロッス、反戦・反軍的な芸術であるマックス・ベックマン、公序良俗の破壊者という悪罵が投げつけられたエルンスト・ルートヴィッヒ=キルヒナー、抽象画を描いたフランツ・マルクやパウル・クレー、そして存在自体が否定されたユダヤ系芸術家である。

〈私はこの芸術家たちの作品を見て、「上手い」とか「きれい」とか思ったことはないが、「なんと切実なのだろう」「なんと熾烈なのだろう」、といつも感嘆せざるをえなかった。一言でいうなら、私は、彼らの作品に精神の独立を勝ち取ろうとする人間たちの激烈な苦闘を見出してきたのである〉

著者はつづける。〈「美意識」とは「きれいなものを好む意識」ではない。「何を美とし、何を醜とするか」という意識である。自分の「美意識」を再検討することは、自分が何かを「きれいだ」と感じるとき、それを当然のこととして済ますのではなく、なぜそう感じるのか、そう感じてよいのか、を問い返してみるということだ。そうすれば、私たちの美意識が実は歴史的・社会的につくられてきたものであることに気づくであろう〉

「美意識」を統御し支配しようとする近代国家のあり方は、上に記したナチスの芸術政策にとどまらない。本書に収録した「より徹底的に見つめ、より熾烈に創造せよ! 韓国版序文」で、著者は、日本と韓国の美術のあり方にふれ、明治近代国家による美術の制度化が、どのようにして戦争画という公共的な主題を生んでいったか、逆に、戦争が敗戦に終わったあと、自律的主体性を欠いた日本の画家たちの多くが、いかに何ごともなかったかのように私的な世界に回帰していったかに言及している。日本という歪んだプリズムを通して、西洋近代の美意識を吸収するほかなかった朝鮮半島の事情ともども。

国家の支配から独立した人間であろうとする者は、「美意識」における独立を勝ち取らなければならない――本書を貫通する著者のメッセージは、まさに現代の課題のひとつとして、われわれ一人一人が受け止めるべきものだろう。




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