みすず書房

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『ジョルジョ・モランディの手紙』

岡田温司編

「20世紀の美術を代表するアーティストを仮に3人挙げろといわれれば、わたしは迷うことなく、ピカソとデュシャンとモランディと答えるだろう」とは、本書の編者であり、十年来モランディと深く関わってきた(もちろん、作品と資料を通して)美術史家の岡田温司氏の意見だ。その理由をつづけて――
「というのも、この3人こそは「近代」の芸術のあり方を象徴する存在だからである。あえて乱暴に、それぞれの芸術の本質をひとことで、「変化」と「放棄」と「反復」と要約しておこう。さらにそれぞれ順に、「オリジナリティ」「アイロニー」「メチエ」という理念をくわえてもいい」。

はじめの二人までは、その理由に同意できるかどうかは別にしても、最終的には多くの人が納得できるところだろう。が、三人目にモランディと聞いて、素直にうなづける人がどれだけいるだろうか。

しかし、モランディの歩みをたどるかたちで編まれた本書の手紙・資料とその解説を読み終えると、地味で瀟洒なモランディの作品が見るものを飽きさせない、その理由が、決して好みによるのではないことに気づかされることになる。モランディは、手を動かしなんとしてでも「存在の真実」を写し取ろうと、密かに格闘していたのだ。ボローニャのアトリエに、何の変哲もない、というよりもむしろみすぼらしく、埃まみれでくすんだ物たちを集め、台に並べて、毎日毎日同じ位置からそれらの壜、缶、器を描きつづけた。「何かがうまくいっていない、それが何であるかはわからないのだが、けれども確かに何かがうまくいっていないと感じるのだ」とつぶやきながら。

手紙や資料を読むことで、同時に、モランディがはじめからモランディであった訳ではないことも分かる。静寂とは対極的な芸術運動、未来派へ参加し、つづいてデ・キリコやカルロ・カッラたちの形而上絵画の動きに加わるなど、同時代の芸術思潮に接近した時代もあったのだ。作品を追っていけば、1920年前後を境に時代の流れから身を離し、「実際に見ているもの以上に抽象的で非現実的なものはなにもない」という信念を確かなものとして、作品を仕上げてゆく画家の変化を、見てとることができるだろう。

また、手紙にも出てくる「古典研究と伝統」を重んじる姿勢は、いかにもモランディらしい。郷土ボローニャの画家ヴィターレ・ダ・ボローニャの絵を手許に置き、町の教会堂の絵を模写したり、アルデンゴ・ソッフィチら「郷土派」の画家たちと親交をもった。戦火が迫ると、モランディは町の古い建造物に収まる作品の事が気になり、「仕事」もろくに手につかなかった。

モランディ作品には、永遠性をもちうるものに必要な条件が、画家その人の資質と人生によって与えられていたのだ(モランディは目立つことを嫌い、また生涯独身だった)。ローカル(にしてグローバル)、アナクロニック(にしてアクチュアル)、平板(にして奥深い)…。だから、この身の丈180センチを越える大きな画家は、大文字の美術史ではなく、個人的な美術史の三人目に現われる「プティ・メートル」として、見る者と親密な関係を結ぶのだ。

* 「モランディ展」中止のお知らせ

本書の刊行と同時期の開催が予定されておりました「ジョルジョ・モランディ展」(4月‐、豊田市美術館・鳥取県立博物館・神奈川県立近代美術館〈葉山〉巡回予定)は、東日本大震災の影響により、今年度の開催が中止となりました。




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