みすず書房

トピックス

デュシャトレ『ロマン・ロラン伝』

1866‐1944 村上光彦訳

〈『ジャン‐クリストフ』のことで、ロランはこう記している。その主人公を正しく理解するには、彼の道程にある一時期を見るのでなく、その道程全体を包括しなくてはならない、と。すなわち「彼があいついでとった数々の形、また彼の数々の矛盾して見える外見、さらにそれらを説明し、そして調和させる内的法則の意味は、その生涯の終局から見たときに初めて明白になるのである」と。〉(「まえがき」より)
この一文は、本書の主人公、ロマン・ロランにとってぴったりあてはまる。

『ジャン‐クリストフ』を発表しはじめた1900年代、40代を迎えて以後のロランの活躍は、20世紀という時代と併走するかのように、華々しいものであった。小説、戯曲、芸術研究、評論などの執筆、二次にわたる世界大戦への批判と平和の訴え、ソヴィエト‐ロシアへの支持表明、反ファシズムの戦い、タゴール、ガンディー、ヘッセ、ツヴァイク、シュヴァイツァーらと交流しながら、知識人の代表として《精神の独立》を守り、暴力に反対しながら人類の自由と世界平和を実現するための努力……。1915年にはノーベル文学賞も受賞した。フランス国内では生前からロラン評価は相半ばしていたようだが、20世紀前半という時代の大きなうねり、大きな物語に呼応するかのようなロランの活動は、ひとつの理想の表現として世界中の人々の心をとらえて放さなかった。

だからこそ、たとえば、敗戦直後の日本で出版活動をはじめたみすず書房は、ロランの全作品を刊行すべく力を注いだのである。その結果、三次にわたる全集を刊行、第三次全集43巻は当初の思いから40年ほどの時間をへた1985年に完結した。自由のシンボルとしてのロマン・ロランの作品は多くの読者を獲得し、みすず版だけでなく、『ジャン‐クリストフ』『魅せられた魂』をはじめとして各社の文庫や文学全集を賑わわせたのである。

しかし、時代は大きな物語から小さな物語へとアクセントを移しはじめた。古典としての評価も定まらないまま大きな物語に呼応してひとり歩きしていたロランの作品は、しだいに読まれなくなっていった。ロランの理想主義や非暴力主義は現実ばなれしていると言われるようになった。ソヴィエト‐ロシアに与していた人々でさえ、スターリン体制の真実が明らかになるにつれて、ロランはスターリンの従僕であったと言いはじめた。その一つ一つの作品の評価、ロランという存在や意味が明確にならないまま、時代はかつてあれほどの影響力をもっていたロランを忘れていった。

では、ロマン・ロランとはいったい誰であったのか。ロラン没後60年ほどを経てはじめて、フランスのロラン研究の第一人者である著者の手によって、あるがままのロラン像がここで提示された。ひとつの立場に与することなく公平な手さばきで描かれた本書は、白黒をつけるのではない、未来に評価をゆだねるに十分な素材を、私たちの元に手渡してくれたのである。




その他のトピックス