みすず書房

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『ヒトの言語の特性と科学の限界』

鎮目恭夫

入稿時から責了にいたるまで、本書『ヒトの言語の特性と科学の限界』の著者の仕事は、末期癌で入院中の病院のベッドで行なわれた。
初校段階では、校正するのは疲れてほとんどできないが、本書のために不足していること、追加したいことを「第四部または最後の追補」にまとめたので、と本書で十数頁になった新原稿を書かれ、渡された。(6月25日)
再校時では、ちょっと元気が出てきたので、すべて校正をした、ちょこちょこ追記も書いた、と言われた。その通り、校正刷りにはかなりの朱が入っていた。また、索引もつくりたいので、適当に拾い出してみた、あとはこの感じでやってほしい、とも言われた。(7月7日)
それから数日して、郵便で「まえがき」の追加原稿が送られてきた。そこには、病院やご家族や編集者など、この間お世話になった方々への謝辞があった。

そういうわけで数回病院通いをして、著者から色んな話を聞いた。湯川・朝永をはじめ著者もともに生きた戦後の日本の物理学のこと、日本の科学とマルクス主義のこと、バナールやウィーナーがどういう人であったかということ、本書のテーマのひとつでもあるが、チョムスキーの言語の発想がいかに大事であるかということ…… そんな話をうかがいながら、著者が翻訳をし、一世を風靡したバナールの『歴史における科学』になぞって、歴史における科学者とは何かを考えることが著者の一貫したテーマであることもわかってきた。本書のカバー裏文章や帯にも記したしだいである。

ご家族の話によれば、あれほどの痛みにもかかわらず、よくも仕事を続けられたものだ、と病院の医師や看護師が驚いていたらしい。
しかし、ひどくなるいっぽうの痛みを和らげるためにモルヒネ投与を増やし、起きている時間の少なくなった7月27日、刷り上ったジャケットカバーを見せようと病院に行ったが、「いま眠りにつかれたばかりなので」と、面会はしないまま病院の方にジャケットを渡し、その翌日の7月28日の午前、ご家族からお電話があり、午前9時頃に亡くなった旨をうかがった。亡くなる数時間前に眼をさまし、カバージャケットをご覧になって喜んでおられたとのこと。刷り上った本をお見せすることは叶わなかった。

最後まで科学者であった。「味噌汁の味がわからなくなり、まずくなった。これはよろしくない兆候だ」「不安感が出てきた。自分のことや家族のことで。これは生への執着がある証拠だ」。最後まで病棟での日々と自分の思いをつづった記録を書かれていたと聞く。合掌。
(新刊トピックスにふさわしくない文章になりましたが、どうかご寛恕ください。)




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