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ダニエル・ラノワ『ソウル・マイニング』

音楽的自伝 鈴木コウユウ訳

ダニエル・ラノワという名前を知ったのがいつのことか覚えていないが、ラノワの歌を初めて聞いたのは1990年、ピーター・バラカンが選曲するFM番組においてだった。

番組で流れた「アンダー・ア・ストーミー・スカイ」という曲にすっかり魅せられて、渋谷のまだ宇田川町にあったタワーレコードで彼のデビュー・アルバム『アカディ』を買い、これも使いだしたばかりのCDプレーヤーで再生していた。ギターの生み出す軽快なリズムに乗せたボーカルは上手くはないけれど、英語とフランス語がまぜこぜになった歌のメロディーは覚えやすく、鼻歌にぴったりの曲だった。そして何より、アルバム全曲をつらぬく独特の音場感につよく引かれた。

今日ならネット検索であっというまに情報が得られ、アマゾンで関連のアルバムを入手できる。しかし、90年代のことゆえ、その後の「進展」はゆっくりしたものにならざるをえなかった。持っていたU2『焔』にブライアン・イーノの共同制作者としてラノワの名があるのに気付き、『オー・マーシー』で久しぶりにボブ・ディランの凄さを再発見してからは、ラノワの二作目『フォー・ザ・ビューティー・オブ・ウィノワ』(米盤ジャケットでは女性モデルの乳首がタイトルで隠されているが、ヤン・ソーデックの写真は秀逸)はもちろん、CDの裏ジャケにDaniel Lanoisという記載を見つければたいてい買うようになった。なかでも決定的だったのが、エミルー・ハリスの『レッキング・ボール』である。

それまでのエミルーとはぜんぜん違う音のうねりが、このアルバムからは感じられた。ルシンダ・ウィリアムスやニール・ヤングのバッキングボーカルも完全に曲に溶け込んでいる。この融合した音がラノワ・サウンドの特徴で、ドラムのラリー・マレン(U2)とベースのトニー・ホールが生み出す土台の上に、薄いスカートで踊っているようなエミルーの艶っぽい歌声がたゆたう。ラノワは『ソウル・マイニング』に、その時のことをこう書いている。「フィル・スペクターによるクリスタルズのサウンドのように、背筋がゾクゾクするレコードを作るチャンスが、私にもやってきたように感じた。」

今は亡きVHSテープで、ラノワを撮ったドキュメント・フィルム『ロッキー・ワールド』も買った。ニューオリンズのスタジオ場面より、カナダに帰郷したダニエルを迎える親戚の食卓シーンが印象に残る。これも『ソウル・マイニング』から引こう。「祖父はバイオリンが上手で、プロではなかったが近所の催しものや結婚式などの行事で演奏した。母の系統には歌い手たちがいた。おじやおばたちはケベックの古いフォークソングを歌ったが、それによって自分たちで楽しむエンターテインメントの環境ができあがっていた。」

ラノワの自伝が、老舗の文芸出版社フェイバー&フェイバーから出るとカタログに予告されたとき、これはぜひ出してみたいと、すぐ手を挙げた。原書の完成は予定より遅れ、翻訳出版の準備にも時間がかかってしまったが、おかげでその間に、ラノワの初来日コンサート(2012年1月)を聞く&見ることができ、関係者の好意で楽屋のラノワにも会えた。さっきまでステージでニール・ヤングばりの激しいギター演奏をしていたラノワは、挨拶したわれわれに、席を立って冷蔵庫からビールの小瓶を持ってきてくれた。静かに受け答えするラノワには、奥にいたブライアン・ブレイド(現在最高のドラマーの一人)ともども、ミュージシャンというより、修道士のような雰囲気があった。

タイトルになった「ソウル・マイニング(魂の採掘)」について、本人はこう書いている。「尊厳と高い質を求めて(どのような分野においても)、ぬかるみの中をとぼとぼと進んでいく人のアナロジーなのだ。高い質というのは、一生をかけて探求しなければならないものだ。私は、一生懸命活動する希望に満ちた数多くの人々と一緒に走り続けてきている。」カナダの小さな町から出発し、地道な努力によってトップクラスの音楽プロデューサーになったラノワの言葉は、音楽ファンのみならず、まさに「どのような分野においても」、高い質を求めて歩きつづける者にとって励ましとなるだろう。

ラジオから聞こえてきた一曲の歌に始まったつながりが、こうして本の形をとって手元にある。そしてこの夏、ラノワはフジロックに出演してから、大阪、東京のビルボードライブに再びやってくる。少し感傷を含んだ喜びと、ステージへの期待を抑えきれない。

(編集部 尾方邦雄)

ダニエル・ラノワ再来日

[終了しました]ユニークな音楽的自伝『ソウル・マイニング』を刊行したダニエル・ラノワが、昨年1月の初来日の圧倒的感動をふたたびもたらしてくれます。

初来日では、ブライアン・ブレイド(ds)、ジム・ウィルソン(b, vo)とのトリオでしたが、今回の再来日メンバーは? いずれにせよ、一度経験したら忘れがたいあの音色を日本でまた聞けます。




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