みすず書房

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ケネス・サンダース『ポスト・クライン派の精神分析』

クライン、ビオン、メルツァーにおける真実と美の問題
平井正三・序 中川慎一郎監訳
賀来博光・工藤晋平・坂下優二・南里幸一郎・西 見奈子・渡邉真里子訳

メルツァーに精神分析の訓練を受け、タビストック・クリニックおよび英国精神分析協会で教育活動に携わってきたケネス・サンダースによる、セミナー形式の一冊です。

訳者からひとこと

この本は、イタリアのビエッラでおこなわれた精神分析の講義の記録です。メルツァーの難解な概念を、実際の症例をもとに解説した講義の記録、そしてさらにその後の討論までが収められています。つまり、まず症例とともに考え、次に聴衆とともに考えた記録であり、誰かとともに考える、これがこの本を通して、おこなわれていることです。

この本の出版のきっかけになったのは、精神分析の臨床実践をおこなっているメンバーが集う小さな勉強会でした。ささやかではあるけれど、情熱に満ちた、その勉強会の中で、私たちはこの本に初めて触れ、その場は興奮に包まれました。その時、まず私たちが驚いたのは、メルツァーが改訂した「ビオンのグリッド」でした。「ビオンのグリッド」とは、精神分析家ビオンが、人が今どのように考えているのか、という状態を数字とアルファベットの組み合わせで表そうと(例えばC3, F6といったように)試みた格子状の表のことです。縦軸(A-H)は思考がどれほど成熟しているか、例えば、概念、代数計算式など、を表し、横軸(1-n)は、その思考がどのような形で使われるのか、例えば、注意、行為など、を表します。この「ビオンのグリッド」は、患者がいかに考えているのか、を重視するようになった現代の精神分析の流れの中では外すことができないものです。メルツァーは、それを真実と美という独自の観点から改訂を加え、この本には、それが2つの表として記載されています(本書85、87頁に掲載)。

このように書くと、難解で抽象的な議論だけが展開されているように感じられるかもしれません。しかし、最初に述べたように、この本が強調しているのは、そもそも精神分析は机の上のみで作られたものではなく、「精神分析」という日々の患者との対話によって生み出されたものだということです。それは想像されるほど洗練されたものではなく、むしろずっと雑然とした、私たちの日常に根ざしたものです。

例えば、患者は寒いなとマフラーを首に巻き付けながら、分析家の元へと急ぎます。ドアを開け、靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、緑色の小さな椅子の上に荷物を置きます。さあ、と横になろうとして寝椅子に腰をかけた時、ふと絨毯の上の白い綿埃に気がつきます。分析家もまた、肌寒い風を感じて窓を閉め、暖房をつけ、患者を待ちます。いつもと同じように患者がさっと、まるで身を隠すように部屋の中に入ってきます。そして、横たわろうとした患者の動作がふと止まります。でもそれはほんの一瞬のことで、患者は普段と変わらない姿勢で横になり、ひと呼吸置いて話し始めます。分析家は気づきます、ああ、綿埃だと。

このように患者が、そして分析家が持ち込んだ、小さなパーツが少しずつ沈殿し、大きな理解の流れとなっていきます。やがて、それは個人の理解を超え、美や真実といった世界を理解することにもつながります。もちろん、逆に世界の理解が、個人の理解へとつながっていく体験についてもこの本は記しています。真綿がちりちりと撚り合わさって糸になり、それが織り合わされて絨毯になり、そしてまた端からほつれて、綿埃になって落ちていく、といった具合に、さまざまな次元で拡散と収縮を繰り返しながら、展開していきます。これが、誰かとともに考える、という行為の中で起きてくるものなのだと思いますし、この本で示されていることです。

最後に、表紙の絵は、挿絵画家、アーサー・ラッカムによるものです。彼は、フロイトとほぼ同時代を生き、グリム童話や不思議の国のアリスの挿絵などを手がけ、イギリスの挿絵本の黄金時代を築き上げました。そのような普遍的寓話の中にある美しさとリアリズムを追求する姿勢は、おそらく、この本に通じるものではないでしょうか。

訳者を代表して
西 見奈子




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