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『短篇で読むシチリア』

武谷なおみ編訳《大人の本棚》

「人生は、どこを切っても美しい。」お正月映画として現在公開中の『シチリア!シチリア!』のキャッチフレーズです。ジュゼッペ・トルナトーレ監督の名を『ニュー・シネマ・パラダイス』(この題はシチリアの村にあった映画館の名)で多くの映画ファンを泣かせたことでご記憶の方もあるでしょう。それ以前にも、タビアーニ兄弟の撮った『カオス・シチリア物語』という快作もあり、舞台をシチリアに限らなければ、この土地が生んだマフィアを描いたフィルムは『シシリアン』や『ゴッドファーザー』などなど無数にあるとも言えます。

さらに観光ツアーを探してみればすぐにわかるように、世界遺産の古代遺跡と青い海を目指して大勢の日本人がこの島を訪れます。これほどの魅力をそなえたシチリアとは、どんな場所なのか? 紀元前8世紀にギリシア人が植民を始めてから、第二次世界大戦後にイタリアの自治州となるまで、その多民族による支配の歴史はたやすく覚えられないほど複雑で、そうした重層的な文化が、文学の土壌として有効に働かないはずはありません。

これまでにもシチリア出身作家の小説は、稀有な作家ランペドゥーザの『山猫』(岩波文庫)や、ヴェルガ『マラヴォリア家の人々』(みすず書房)などの長編が翻訳されています。けれども「シチリア文学」ともいうべき謎めいた独特の世界に足を踏み入れる入り口になるような一冊が作れないだろうか。そんな話を本書の編訳者である武谷さんと交わしたのは、昨年の浅い春のことでした。

ところで武谷なおみさんには『カルメンの白いスカーフ』(白水社刊)という本があります。オペラ歌手ジュリエッタ・シミオナートとの深く美しい交流を書いた作品ですが、そのシミオナートさんが5月5日の明け方、百歳の誕生日を目前に亡くなったのです。いつか来る日とわかっていたとはいえ、母とも慕ったイタリア女性を喪った気落ちは大きかったと思います。それでも、ほんとうに暑かったあの夏休みに翻訳を仕上げてくださり、ほとんど予定どおり本の形にすることができました。

『短篇で読むシチリア』巻頭の「ロザリオ」(デ・ロベルト作)を読まれた方は、いささか戸惑われるかもしれません。しかし、夕べの祈りに向けて進行する稠密な時間を体験してから、後につづく13篇を読み進むにつれて、シチリア島の雰囲気に包まれているのに気がつかれることでしょう。これこそ、シチリア・マジックなのです。

シリーズ《大人の本棚》には、作家ごとのベストオブともいうべきタイトルをときどき入れるようにしております。そこから入って、そこに行き着くような、奥行きのある一巻本というのが理想ですね。今回は一人の作家ではなく一つの土地のベストオブのつもり。武谷さんと導き手のレオナルド・シャーシャのおかげで、よい本になりました。




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