みすず書房

トピックス

双極性障害とそのバイオミソロジー

バイオバブルが人々を治療に駆り立てる時代

  • デイヴィッド・ヒーリー
  • [聞き手]クリストファー・レーン
  • (坂本響子訳)

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──子どもの双極性障害に対する認知度を高めるひとつの方法は、従来それがADHDと誤診されてきたと主張することだったとお書きになっていますね。そういう主張には、どんな意味合いと影響があったのでしょうか?

ADHDの子どもたちについて理解しておかなければならないのは、世界のほとんどの地域ではごく最近まで(インドのような国々ではいまなお)、ADHDはごくまれな障害だということです。そのような地域では、子どもは──たいがい男の子ですが──身体的に非常に活発です。そして十代になると、こういう状態を脱していくのです。

このような場合に、精神刺激薬による治療は効果があるかもしれません。ただし、かならず治療が必要かどうかは、症状がどのようなものかというよりも、子どもをとりまく環境にかかっています。ADHDのような状態が障害とされるのは、学校教育やある一連の社会的基準を忠実に守ることを強制される世界においてだけです。1世紀以上前ならば、子どもたちに対していまよりももっと広い視野をもっていましたから、子どもたちのこういう状態を治療したりせず、幼年期にはほかのことをしながら、青年期を迎えて落ち着くのを待ちました。

今日私たちが扱っている問題は、古典的なADHDの解釈とは異なっています。何世紀も前からあったもの、つまり「問題児」と呼ばれていたものです。今日、問題児はADHDのレッテルを貼られます。しかし、レッテル一枚では手詰まりです。小児精神医学は別の障害を必要としていました──だからこそ、双極性障害が歓迎されたのです。精神刺激薬が合わない子どももいますが、SSRIと双極性障害の関係と同様、〔レッテルを二枚にすることで〕問題が起きてくるのは刺激薬のせいではないと、都合よく言えるようになったわけです。この子がかかっているのは、じつは別の障害でした。正しい診断がつきさえすれば、万事うまく収まるはずです、と。

いま、興味深い現象がひとつあるんですよ。成人期のADHDに、明らかなループ効果〔ある社会で形成された病気に関する説明モデルや、典型的な病気のイメージが、患者による病気の経験や症状に反映されるメカニズム〕が見られるのです。ごく最近、英国のNICE(国立臨床評価研究所)からADHDに関するガイドラインが出され、成人期ADHDが正当な臨床的障害に認められました。断言してもいいですが、数年前ならば英国の医師の85~90%は、成人期ADHDが正当な臨床的障害だとは認めなかったでしょう。ガイドラインといえばいささか保守的なものと思われるかもしれませんが、ここでは、ガイドライン作成のプロセスのほうが臨床現場よりも先に立って、臨床医たちを思いもかけぬ方向へ導いていく、ということが現実に起きているのです。

ガイドライン作成者は価値中立的〔それ自体は是非善悪にかかわりないこと〕でなければならず、またデータに従わなくてはならないということを、製薬会社は百も承知です。これはつまり、彼らが「成人期ADHD」と呼ぶ状態にほんのわずかでも効果を示したという治験をつくりだせればいい、ということになります。ガイドライン作成者たちは判断を停止して、命名された「病気」は実在すると認めるよりほかありません。そうしてガイドライン作成者たちは結局、たとえばイーライリリー社のねらい通りにストラテラ〔ADHD治療薬〕のような薬の使用を薦める役割を担わされてしまうのです。

現状で何より信じがたいのは、ガイドライン作成者たち──道の真ん中に座り込んで、近づいてくるヘッドライトに身をすくませている人たち──を、どうやっても製薬会社の巨大トラックの進路から退かしようがないという点です。彼らがどう操られているのかをいくら説明しても、肩をすくめて「我々にどうしろというんですか?」と聞き返されてしまうのですから。

先ごろ、私たちはここ北ウェールズで、こういった現状についての多面的調査を始めました。臨床医たちは質問に答えて、こう述べています。3年前なら成年期ADHDを実在の障害と見なすことはけっしてなかったろうが、いまから3年後にはおそらくそう見なすだろう、と。これは、臨床現場のありようを変える製薬会社の力の強大さと、それに比べて、変化に抵抗することの無力さという、現実主義的な認識の表われだと思います。

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