みすず書房

笠原嘉『「全体の科学」のために』

「笠原嘉臨床論集」 全5冊・完結

2013.06.10

[18日刊]

「笠原ファンにとっての最大の魅力は、その笠原人間学とでも呼びたくなるほどの、見事な総合と折衷の手際にきわまるだろう。(…)領域横断的でありながらも、荒唐無稽に陥らないということは、けっして容易なわざではない。しかるに笠原氏は、はた目にはじつに易々と、そうした横断をやってのけるのだ」
(『アパシー・シンドローム』岩波現代文庫版・斎藤環「解説」より)

2009年の『うつ病臨床のエッセンス』からはじまったシリーズ「笠原嘉臨床論集」は、5冊目となる本書をもって完結する。全巻の中でもとくに冒頭の斎藤環氏の解説に評されるような「見事な総合と折衷の手際」を味わえるのが、本書だろう。

1928年生まれの著者は、薬物療法のめざましい進歩や、DSM、ICDといった米国の診断基準の到来(著者はしばし「黒船」と呼ぶ)を現役の医師として生きてきた。
本シリーズに収録されている論文すべてに共通しているのは、こうした公衆衛生学的精神医学に対する著者の「物足りなさ」である。どんなテーマにおいても、どんな短い文章においても、著者の文章には京都大学で村上仁先生のような「師」や、木村敏先生たちのような「仲間」に影響を受けてきたドイツ・フランス流の人間学的視点が顔を出す。
その絶妙のバランスが、どんなに高度な専門知識もふと私たちに近づけてくれるような気がする。ときに、ありがたいお坊さまの言葉のようでもある。

「精神科医を二度生きる」。著者はそういう言い方をするが、名古屋大学を定年退官後、著者は驚いたことに70歳にして街角のクリニックに就職する。大学の教授よりクリニックの診察室のほうが、性に合っていたという。その旺盛な好奇心はいったいどこからくるのだろうか。
本書の一章「だから精神科医はやめられない!」のなかで、著者は言う。

「いつのころからか私は「自分の研究室は診察室」と広言するようになった。(…)人間学派と呼ばれた流派に惹かれた私は、いつしか診察日を前にして「今日はどういう人に会えるか」と半ば楽しみにするスタンスを身に付けた」

この一節をみて思った。今年85歳になる著者は、まだまだ自身の精神科医生活も物足りないんだな、と。
60年にわたる臨床生活のなかで著者が出会った人びと、そして見つけた人間学。その「見事な総合と折衷の手際」を味読いただきたい。