みすず書房

『ヨーゼフ・ボイスの足型』

若江漢字/酒井忠康

2013.05.27

対談 若江漢字/酒井忠康「『ヨーゼフ・ボイスの足型』を読む」開催

[終了しました]2013年7月19日(金)19:00、東京・赤坂の東京ドイツ文化センター図書館で、図書紹介とディスカッションの催し「『ヨーゼフ・ボイスの足型』を読む」が開かれます。参加無料・要事前登録。

2009年、水戸芸術館での「BEUYS in JAPAN ボイスがいた8日間」展を訪れたとき、広い展示室の片隅に気になる作品があった。石膏で抜かれた足型のオブジェが置かれ、ヨーゼフ・ボイスがトレードマークの帽子をかぶり赤い椅子に座って足型をとっている写真が添えられていた。何とも珍妙な光景を写し取ったその写真は、場内に異様なアウラを放つボイス作品群にけっして引けをとらない存在感を示していた。作品解説で、現代美術家の若江漢字氏がボイスの自邸で足型をとってきたものだと知り、思わずニヤリとした。「ボイスの足型をとるなんて神をも畏れぬ蛮行だな」となかば呆れる一方、「やられた」という、体のなかを風が通り抜ける爽快さにとらわれた。

その美術展から2年ほど経った2011年の秋、美術評論家の酒井忠康氏から「若江さんと共著でボイスの本をつくりたい」との申し出を受けた。驚きというより何か運命的なものさえ感じたが、今に至るお話をうかがい、40年来のお付き合いというお二人の交流の軌跡が伝わる本になるならと、お二人の原稿を受け取った。

酒井氏は、文化庁派遣によるドイツ留学が決まった若江氏から相談を受け、前衛芸術の巨匠ヨーゼフ・ボイスの足型をとるという無謀な作戦に当初から関わり、日本から声援を送り続けた、いわば“共犯者”だ。意気揚々と足型をとってきた若江氏に「ボイス・ノート」執筆を薦めたのも氏である。

若江氏は本書プロローグに次のように書いている。
〈ボイスが、この日本に足跡を残してしまうというのはどうだろう。ボイスの足型を石膏で型取りして石にうつす《ボイス足跡を印す》というアイディアが浮かんだのである。……出発前に酒井氏に話すと「もし取れたら日本の珍宝だ」と言ってくれた。その時から酒井氏はこのプロジェクトを事前に知る唯一の生き証人となったのである。〉

一方の酒井氏は巻末のエピローグに、
〈その存在がいささか神話的であったボイスであるから、この話をきいたとき、正直、私は鳥肌がたつような興奮をおぼえて、「若江さん、やったぜ!」と声を挙げた。…まったく信じがたいことであるが、一介の青年作家の目論見を、ボイスが、こころよく受け入れてくれたという、その度量の大きさにもわたしは感心した〉
と当時を回想していて、このエピソードの裏側に美術家と批評家の絶妙な“結託”があったことが窺える。

30年という月日が経った今では、それを微笑ましく感じる余裕もあるが、当時にしてみれば、帝王ボイスの自邸に押しかけ足型をとるというのは、ある種の無謀さ、厚かましさがあり、信頼する酒井氏以外に他言するのが憚られたのは想像に難くない。一方、焚きつけはしたものの「そんな大それたことができるのか」と半信半疑だった酒井氏が、プロジェクト完遂の報に接し、小柄な日本人が大きな欧米人を投げ倒すごとき痛快さを覚え、快哉を叫んだのもうなずける。

個人の小さな企みが、思いのほか強大な効用を生み出すことがままある。殊にアートは、絵画であれパフォーマンスであれ、自身の存在を懸けて他人がやらないことをやってのけ、その波及効果を提出する場ともいえる。「社会彫刻」を提唱したボイスもまた、アートを社会改革に援用しようと企んだ一人であり、アートの力を信ずるがゆえに、若江氏の果敢な挑戦を真っ向から受けて立ったに違いない。

ヨーゼフ・ボイスという芸術家はいまだ謎に包まれている。ボイスが来日した8日間を、まるで大型台風が遺した爪あとのごとく紹介した水戸芸術館での展示を思い返しても、日本では「ボイス受容」「ボイス体験」というものがジュクジュクと生煮え状態であり、じゅうぶんに規定されていないことがわかる。ボイスとはいったい誰だったのか? あの来日とは何だったのか?――これからもこの問いは続けられるに違いない。

本書は、ヨーゼフ・ボイスの素顔に触れた数少ない日本人による第一級の記録である。また、ボイスに心酔した一人の美術家と旧知の批評家が続けてきた対話の集成ともいえる。没後25年を経てなお、あらゆるアートに影響を与え続けるボイス思想の理解を深める一助となれば幸いである。

なお、本書カバーに使用している若江漢字作《ボイス足跡を印す》は、同氏が主宰す る横須賀のカスヤの森現代美術館に所蔵展示されている(不定期)。ほかにも同館には貴重なボイス作品が展示されており、ぜひ訪れてみていただきたい。

ヨーゼフ・ボイスの足型を石膏で取る若江漢字(1983年7月)