みすず書房

大田静男『夕凪(ゆーどぅりぃ)の島』

八重山歴史文化誌

2013.08.26

八重山の歴史の波立ちと島びとたちの呟きが伝わってくるような本
――仲里 効

15年以上前、初めて八重山を訪れ、石垣市立八重山博物館に張り出されている年表を見たときの驚きを忘れられない。見たことも聞いたこともない歴史があった。1500年、オヤケアカハチの乱。1522年、与那国の鬼虎、宮古軍に征伐される。1640年、西表島に中国人と南蛮人が漂着。1771年、大津波襲来。1903年、人頭税の廃止。……ここはどこの国か。 八重山の神話では、アーマン(やどかり)の穴から「カブリー」と叫びながら男女が地上に生まれ出たのが先祖であるという。イザナギ、イザナミの子孫ではないのだ。

歴史ばかりではない。
石垣方言でカマキリはガギッツァ、ギンヤンマはボージャー、トンボはカケーズ、蝶はハビィルでアリはアーラ、コウロギはキネーラ、セミはサーンサーン。朝凪は「あさどぅりぃ」、黄昏は「あやっふぁじぃぶん」。あまりの暑さに「アガヤーコッタル!」(ああ今畜生)

言葉ばかりではない。
1893年に探検家の笹森儀助が踏査した、石垣島北部の立ち入り禁止区域にある廃村を見学する機会があった。周辺は想像もしたことのない隔絶した美しさであった。樹木が茂り、巨大な花が咲き、無数の鳥がさえずる。人が触れない自然はかくも美しいと知った。

その八重山がいま、尖閣諸島をめぐって揺れている。戦争が起きたら、石垣島が最前線になると想定されている。石垣島に生まれ育った著者は、島伝来の知識を手掛かりにして、従来の日本史には収まらない八重山の時空と世界観を掘り起こす。写真出演のかたちで、鳥や牛、弥勒、草木、山や海も応援してくれた。

「八重山の遺跡からは武器らしい武器の遺物が出てこない。戦争とは名ばかりのものであったに違いない。戦争をして人が死んだり傷つくと、島の生活が危うくなる。共同体が崩壊する」

「最先端の武器であるミサイルや爆弾が使われるはずである。そんなものがアーツヅ(粟粒)のような島に撃ち込まれたらどうなるか」

「基地がターゲットにされるのは軍事上の常識であろう。私たちが九州まで疎開するというのは夢のまた夢。逃げる所なんてあるものか。戦争が始まれば、私たちは座して死ぬしかない」

古来、八重山は台湾、中国とは一衣帯水の関係にあり、人々は交流を重ねてきた。国境を武器で閉ざすべきではない。八重山には八重山の視座がある。

8月24日、民俗学者の谷川健一先生が亡くなられた。亡くなる4日前まで、「奄美や沖縄が一つになって、南島特有の自由さを生かした自主的な政治、経済、文化圏を勝ち取る方法はないか」と話されていた(朝日新聞)。石垣島の地名を詳細に調べている大田静男さんを、谷川先生は「八重山全体の地名の本を書きなさい」と励ましたという。
「宮古島の神と森を考える会」で、八重山有数の歌い手である大田さんがユンタ(古謡)を歌うのを、谷川先生がうれしそうに聴いていたのを思い出す。旧暦の盆の月に旅立たれた谷川先生を、大田さんはどんなユンタを歌ってグショー(後生)へと見送るのであろうか。