みすず書房

オットー・ランク『出生外傷』

細澤仁・安立奈歩・大塚紳一郎訳

2013.08.26

精神分析の開祖フロイトにもっとも愛された弟子と言われていたオットー・ランクの立場は、1924年に本書を発表したことによって一変した。「逸脱者」としてその名を記憶されるランクの、早期母子関係論の先駆けともいえる重要古典。訳者による巻末の「解題」より抜粋してご紹介します。

「解題」より

大塚紳一郎

本書の元となる原稿は口述筆記によって記されている。本書の原文に少なからず誤植の類が見つかるのはこのためであろう。
ランクはオフィスの廊下を行ったり来たりしながら、メモなどを見ることもなく、よどみなくアイディアを語り続けた。自身が分析家になるための訓練を受けていた秘書のエディータ・シュテルバは、原稿をおこしながら思わず、「驚きました」と呟いた。ランクは「きっとみんな驚くよ」と笑ったという。

ランクが出生や子宮の象徴性を重視したのは、本書から始まったことではけっしてない。『英雄誕生の神話』でも『インセスト・モティーフ』でも、これらのテーマは特に重要なものとして言及されている。さらに言えば、ランクは本書がフロイトのアイディアの忠実な継承であり、そこからの必然的な展開であることを、繰り返し主張しているのである。

確かにフロイトは、『夢解釈』の1909年に追加された脚注の中でこう述べている(Freud, 1900/1909)。

「誕生という行為は、初めての不安体験であり、それゆえ不安感情の原型である」

したがって、人間の不安の体験の根源を(本書の表現では「原不安」を)出生時の体験に求めるという発想は、本来フロイトに帰するものなのである。
しかし、ランクの提言は、それまで精神分析が理解してきたことのさらにもうひとつ奥に、この出生をめぐる不安の体験が隠されている、というものだった。すなわち、神経症理論、トーテミズム論、性発達理論、治療論、そしてなによりもエディプス・コンプレクス論を、出生外傷の影響を踏まえて考察しなおす必要性を訴えたのである。ランクがこれらの従来の理論を否定したり、棄却するべきだと主張したわけではない。むしろ、これらを「生物学的な根拠」を伴って補強するものだと見なしていた。
とはいえ、本書の提案が従来の精神分析を根底から改める必要があることを求める、恐ろしく野心的なものだということは、ランク自身も間違いなく自覚していただろう。

ランクは完成した本書の冒頭に、フロイトへの献辞の言葉を記すことの許可を求めた。
フロイトはそれを快く受け入れ、返信の手紙の最後をホラティウスの言葉で優雅に、ただし意味ありげに締めくくっている。「私のすべてが死ぬわけではない」。許しを得て、ランクは師に捧げた次の一文を掲げた。

「無意識の探求者、精神分析の創始者、ジクムント・フロイトに捧げる。1923年5月6日」

5月6日は、フロイトの誕生日である。(…)

(執筆者のご同意を得て抜粋掲載しています)
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