◇エピローグより
- 滅茶苦茶に手の小さい私が教授を通チャイコフスキーのピアノ協奏曲やラフマニノフ、スクリャービンが弾けるようになったのは、ひとえにメルジャーノフじてロシアのピアニズムを知ることができたおかげである。それまではスカルラッティやドビュッシー、モーツァルトがレパートリーの大半を占めており、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、リストは限られたものしか弾かなかった。
メルジャーノフ教授に弟子入りしたとき、「10度は届くのかね」と訊かれ、「いいえ」と答えると、「では、伸ばせば」との言葉が返ってきた。これは私を大きく勇気づけた。あの時、「そう、では無理だね」などと言われていたら、道は閉ざされていたであろう。
◇重量奏法

モスクワ音楽院の学生だったメルジャーノフ(右端)とリヒテル(左端)
1945年、第三回全ソ連音楽コンクールで二人は第一位を分けあった
- メルジャーノフは「重量奏法」こそがロシアのピアニズムを特徴づけている奏法なのだと言う。そのおかげでロシアのピアニストは、二千席からなる大ホールでも「音で語る」ことができたと教授は語った。…大ホールの最後席においても、一つ一つの音が強音だろうが弱音であろうが魂のこもった音として響いてくるためには、指の力だけでは足りないのだ。この重みを使った奏法を、リストもアントン・ルビンシュテインも駆使していた。
重量奏法を一言で説明するならば、手首の弾力性を利用し、腕、肩、背中、ひいては体全体の重みを使って弾く奏法と言える。
(第三章「名匠メルジャーノフ」)
◇音に感情を宿らせる

ヴィクトル・メルジャーノフ(1919-2012)
フランツ・リストに源流をもつロシア・ピアニズムの最長老ヴィルトゥオーソとして65年間、モスクワ音楽院で教えた
- メルジャーノフは「いかに表現するか、というより何を表現するかという方が大切だ」と言っていた。彼が警告しているのは、表現手段が先走りして作品のイデーを無視した行為に陥ることだ。
メルジャーノフは一つ一つの音に人間の感情を宿らせていくことに神経を集中した。彼はわずか一つの音でも感情を示唆できたのである。
原田英代のピアノを聴いたことのある人なら知っているだろう。その強くて繊細な響き。文化人類学者・山口昌男はかつて、彼女の弾くシューベルトを「なんと、冷静で、強くたくましく、そして限りなく優しいことか。それはいつも私の心胆を寒からしめるものであった」と評した。
その鍵はロシア・ピアニズムの基礎をなす「重量奏法」にある。原田は6年目にしてメルジャーノフ教授から「ようやく重量奏法が身についた、もう世界中で弾いてかまわない」と言われ、15年が過ぎたとき、「重量奏法がよくなってきた」と言われたという。
ロシアの「語る音楽、歌うピアノ」とは。フランツ・リストの弟子たちを源流とする系譜が受け継いできた教えや技法。演奏活動の実際。ドイツを拠点に活躍する原田がロシア・ピアニズムの《響き》を探究した本書からは、かくも苛烈で魅惑的なピアニストという業が伝わってくる。
人名索引370名余。ロシア・ソヴィエト時代から現代までの写真多数。
◇本書に登場するピアニストたちの演奏を聴くことができます
◇原田英代コンサートのお知らせ