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2015.10.02トピックス

ニック・タース『動くものはすべて殺せ』

アメリカ兵はベトナムで何をしたか 布施由紀子訳

白井洋子先生(日本女子大学教授、アメリカ史)より、本書のためにエッセイをご寄稿いただきました。

民間人無差別大量殺戮と「憂慮する」兵士たち

白井洋子

ベトナム戦争終結から40年目の今年、アメリカ合衆国国防総省のホームページは「ベトナム戦争50周年記念」として、ベトナム戦争従軍兵士とその家族に感謝し、栄誉を讃えるさまざまな企画の報告記事と写真で飾られた。そこでは40年前に敗北した戦争終結の歴史は何も語られていない。米国政府は1965年を公式なベトナム戦争開始の年としている。その前年の64年8月、米国は、トンキン湾事件への報復として北ベトナムを爆撃し、翌65年2月以降、北ベトナムへの継続的な空爆作戦を展開した。3月には、米軍最初の地上戦戦闘部隊として海兵隊2個大隊3500人が沖縄の米軍基地からダナンに上陸、7月、同じく沖縄から発進した30機のB52がサイゴン南東地域を爆撃した。戦争のアメリカ化の始まりだった。本書は、このアメリカ化した戦争の実態を克明に描き出すことで、軍事大国アメリカがなぜベトナムで敗北したのかを浮かび上がらせる。

戦争のアメリカ化とは、まさに非武装の民間人の無差別大量殺戮の本格的開始を意味した。日本では「ソンミの虐殺」(1968年、発覚したのは69年)として知られるクアンガイ省ソンミ村ミライ地区での500余人の女性と子ども老人を虐殺した事件は、作戦であって逸脱ではない、と著者も書いているように、決して一部の「腐ったリンゴ」がたまたまやらかした例外的な行為というようなものではなかった。その前年には、ソンミに近いソンベ渓谷で、タイガーフォースと呼ばれる高度に訓練された落下傘機動部隊45名を含む部隊に7カ月に及ぶ集中的攻撃作戦が命じられた。ソンベ渓谷で何人の農民を殺したかは定かではないが、1カ月だけで120人を殺害したという元隊員の証言もある。無差別大量虐殺が頻発したのは、この戦争が、米軍にとっては領土占領型の戦争ではなく、南の解放戦線勢力と北ベトナム兵力の殲滅と軍事力破壊を狙った消耗戦であったこと、そのため戦果として敵兵の死体勘定(ボディ・カウント)が何より優先されたこと、解放戦線ゲリラ兵をあぶり出すために索敵殲滅作戦(サーチ・アンド・デストロイ)が実行され、動く生き物は子どもでも女性でもすべて攻撃対象となったことによる。もちろん死体勘定には赤ん坊も女性も加えられた。ベトナムで米兵が直面したゲリラ戦とは、敵が誰だか分らないということである。女も子どもも老人も、みなベトコンかもしれないという恐怖が米兵を無差別殺戮へと駆り立てた。さらにアジア人の蔑称グークに込められた人種的偏見が残虐行為を加速した。

非戦闘員への無差別大量殺戮は、1965年以降展開された戦争のアメリカ化がダナン周辺の人口密集地域への作戦を中心としていたことと深く関係していた。太平洋艦隊海兵軍司令官は言う。「ほんとうの戦争は、山のなかではなく、人のなかで戦われる……民衆にまぎれ込んだゲリラの組織網をたたくこと」と。この方針を南部デルタ地域で実施したのが、68年12月から69年5月にかけて展開されたスピーディ・エクスプレス作戦である。この作戦による第9歩兵師団隊員1人あたりの敵兵殺害率は、最高134にまで達した。1969年4月の国防総省統計によれば8個師団のうち第9歩兵師団だけでその殺害者数は全体の3分の1を占めたという。この地域には大量の枯れ葉剤が散布され、ナパーム弾が投下され、空爆と地上からの砲撃による敵兵死者数は後の調査で1万899人と報告された。

このスピーディ・エクスプレス作戦の詳細については、同師団元軍曹から当時の陸軍参謀総長ウェストモーランド将軍に宛てた内部告発があった。死者の大半は民間人犠牲者だったこと、大量虐殺が起きた理由は軍指揮官による死体勘定達成への強いプレッシャーにあったという内容だった。告発の手紙には「憂慮する軍曹」と署名されていた。全「敵兵」死者数のうち、後に調査に当たった米軍監察官の報告によれば5000-7000人が民間人犠牲者と推定された。しかし軍は公表しなかった。この事実を掴んだ『ニューズウィーク』記者の記事も、肝心の部分を骨抜きにした短縮版としてしか掲載されなかった。この作戦の実態と公表されなかった経過を独自の調査で明らかにした6章、7章がニック・タースの本書『動くものはすべて殺せ』の中核となっている。

ミライ虐殺もその他の民間人無差別虐殺事件も、「憂慮する」米兵たちの良心によって暴かれてきた。事件真相の内部告発は命がけだった。実際、何度も命を狙われた兵士もいる。戦争犯罪につながる数百件の事例の告発を、軍は記録に残してもいる。しかしほとんどが隠されたままだった。著者は、無数の民間人大量虐殺事件の中でミライ事件だけに焦点が当てられてきた背景に、ミライ虐殺を例外的な出来事に仕立て上げようとした軍の意図が働いていたことを見抜く。ミライを残虐行為の象徴とすることでこの戦争が米軍による無数の民間人無差別大量虐殺の繰り返しであったことを見えなくしていると言う。米国はベトナムでなぜ敗北したか。本書はその答えを、「憂慮する」兵士たちの良心と勇気の連鎖とともに、読者に改めて思い知らせてくれている。

copyright Shirai Yoko 2015

* このエッセイは、出版情報紙『パブリッシャーズ・レビュー』2015年9月15日号第1面のためにご寄稿いただきました。著者のご同意を得て全文転載しています



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