みすず書房

R・A・スクーズ『フロイトとアンナ・O』

最初の精神分析は失敗したのか 岡元・馬場訳

2015.10.09

「訳者あとがき」より

岡元彩子・馬場謙一

さて、本書は、少し変わった精神分析学の本である。理論や技法を論じたものではない。著者は精神分析学の世界で共通認識となっている一つの「定説」は、誤っていると確信し、それを証明するために資料を渉猟し、精読し、資料間の食い違いを吟味していく。本書はいわば、「神話の皮を剥ぐ」ミステリアスな過程の報告なのである。

精神療法を学ぶ学生は、フロイトの思考の道筋を辿るように概念と技法を学んでいく。その入り口には、1895年にフロイトがブロイアーと共著で出したあの『ヒステリー研究』がある。そして奇妙なヒステリー症状に苦しむアンナ・Oという女性へのブロイアーによる治療――話すことによるこころの浄化――から精神分析学が始まったと教えられる。

だが、この50年来、フロイトとブロイアーが提示した輝かしい治療成果は、実はまやかしで、アンナ・Oは治癒していなかった、ブロイアーとフロイトは、偽りの報告をしたのだ、ということが広く信じられるようになってきた。いわく、

  • ブロイアーはアンナ・Oの彼への恋愛転移に度を失い、治療を中断し、彼女の治療に没頭する夫に不満を持っていた妻とイタリア旅行に行ってしまう。
  • 妻は旅行先で妊娠し翌年女児を生んだ。
  • 治療を中断されたアンナ・Oはその後数年間症状に苦しみ続け、長い入院を余儀なくされた。
  • フロイトはそれを知っていながら、公には治療は輝かしい成功であったという態度を崩さず、私的には、弟子たちにアンナは治っていなかったと語っていた。
  • したがってアンナ・O症例は決して精神分析の栄えある勝利の一歩ではなかっただけでなく、フロイトは不誠実にも虚偽の主張を続けたのだ。

ということである。

精神分析学の学徒は、この「定説」に居心地の悪さを抱えながらも、それはそれとして、フロイトが思考を重ねて作り上げた偉業の光輝に魅了されて学び続け、その効力を信じて、実践してきたのではないだろうか。

ところが、本書の著者、リチャード・A・スクーズは、私たちがこころの片隅に置く居心地の悪さに、真っ向から挑む。彼はブロイアーとフロイトがヒステリー研究で示したアンナ・O症例の治療成功は偽りとする従来の定説を「神話」と呼び、その方こそ事実ではないことを証明しようとして、本書を以下のように書き始める。「1953年、アーネスト・ジョーンズはフロイトの伝記の初版を出すが、ここに彼がフロイト自身から聞いた話として、本症例の結末には発表されていない側面が少なからずあり、ブロイアーは患者との間に生じた感情的なもつれから、時期尚早に治療を終わらせ、その結果患者は再発に苦しみ、入院を余儀なくされたと書いた。以後これをもとに、ブロイアーの治療は、ほとんど破滅的な大失敗だったらしいとする論評が、積み重なっていった」。続けて著者は、「破滅的大失敗神話」が創られていく道筋に、エランベルジェ、ヒルシュミュラー、カール・G・ユングが大きく関わっていたことを述べていく。

ジョーンズが創出した「神話」は決してそのまま罷り通っていったわけではない。ヒルシュミュラーは、ブロイアーの娘ドラは、アンナの治療が終了する以前にすでに誕生していたことを明らかにした。さらに彼は、ブロイアーの手になるアンナ・Oの病歴原本の写しを発見し、彼女はブロイアーの治療後、回復期の療養のためにサナトリウムに入っていたこと、それは三叉神経痛で用いたモルヒネ依存からの離脱が主目的であったことを指摘している。しかし彼はジョーンズの説から抜け出していなかった。

エランベルジェは新しい重要な証拠(ブロイアーの治療直後に写された、乗馬服をきた健康そうなアンナ・Oの写真も含め)を発見し、ジョーンズのいうヒステリー性の陣痛の話は確認されていない、と反論する。それでも彼は、ユングの談話を重視して「この有名な「浄化法による治癒の原型」は治癒も浄化もしていなかった。アンナ・Oは重篤なモルヒネ依存者となっており、顕著な症状の一部は続いていた」と結論した。

「神話」を創る上で重要な役を果たしたのは、ユングの談話である。彼はフロイトが転移の観点から再構成した治療の結末の話をフロイト自身から聞き、その意味で「アンナ・Oは治っていなかった」と話したのだが、それがエランベルジェにはアンナ・O治療全体の失敗と受け取られたのである。

著者はこうして固められていった「神話」を覆そうと、周辺にある膨大な資料を綿密に検討して、その誤りを一つ一つ確証していく。おそらく著者はフロイトと精神分析学を心から信奉しており、精神分析学の出発点につけられた小さな、しかし決して見逃せない重要な汚点を拭い去りたかったに違いない。(…)彼の真実へ迫ろうと思考を重ねていく道には、推理小説さながらの興味深い追及が展開される。

copyright Okamoto Ayako and Baba Kenichi 2015
(訳者のご許諾を得て抜粋掲載しています)