みすず書房

中村隆文『不合理性の哲学』

利己的なわれわれはなぜ協調できるのか

2015.12.24

想像してみてほしい。

先日、Bさんの誕生日にAさんは10万円のワインをプレゼントしたとしよう。そこで、Bさんは今度はお返しにAさんの誕生日に10万円の時計をプレゼントしたとする。
しかし、実はAさんには宝石商の友人がいて、Bさんからもらう時計と同じものを5万円で購入できるし、一方でBさんは有名なワイナリーの株主で、Aさんからもらったのと同じワインを5万円で購入できたとしよう。

AさんもBさんも時計とワインをそれぞれ半額で自分で買ったほうが金銭的には得をするわけである。
しかし、もしあなたがAさんやBさんの立場になったとき、損をしたと思うだろうか?
実際には、経済合理性はそっちのけで、誕生日プレゼントという交流イベントによってこうした「不合理な交流」を喜んでしまうのではないのだろうか?
これはあくまで一例だが、私たちの生きる社会にはこうした多くの「不合理さ」が存在している。

本書のあとがきで著者は自身が「合理的な人間ではない」と認めたうえで、次のように書いている。

「不合理な人生の回り道のなか、何も身につかなかったということはない。回り道を一生懸命に進むなかで身についてしまったものもいくつかあって、それが現在の私を形作り、ときどき役に立ってくれている。そしてその多くは、自分が思ってもみなかったような「出会い」からもたらされた。合理的な人間ではない私が、現在行っているような講義・執筆活動が可能であるのは、生来の不合理性がもたらした回り道の恩恵に与っているからである」(一部省略)

自身の生きてきた道の「不合理性」を哲学を通して見つめつづけた著者が、ときに不合理さが生産的活動に結びつくことを身をもって示したのが、まさに本書なのだ。
合理化されつづける世の中に息苦しさや疑問を感じる人々に、自身の不合理さをポジティブにとらえさせてくれる一冊となるだろう。