みすず書房

[紹介エッセイ] 遠くから読んで見える景色

フランコ・モレッティ『遠読』 秋草・今井・落合・高橋訳

2016.06.10

(訳者のおひとりから紹介エッセイをおよせいただきました)

遠くから読んで見える景色

今井亮一

一語一語を丁寧に味わって読む――文学研究ばかりでなく、日常の読書でも当たり前だと思われている作品との接し方だろう。しかし本書では、こうした読み方≒「精読 close reading」とは別の、「遠読 distant reading」という新たな手法が示される。なぜそんな読み方が必要なのか? そのきっかけとなった論文が「世界文学への試論」と題されているように、なるほど、世界中の文学という膨大な量の作品を相手にするとき、精読という「木を見る」読み方は過ぎる。そうではない、くから「森を見る」読み方が必要なのだ。(もっとも、この過激な主張は発表直後から物議を醸し、モレッティは「さらなる試論」などの形で批判に答えてきた。本書にはこれら2論考も、新たに書き下ろされた回顧的な解説と現在の見解を加えて収められている。またこの論争を機に世界文学研究がどう進んだかについては、秋草俊一郎による「訳者あとがき」を読んでいただければと思う。)

モレッティはまた、もはや忘れ去られた作品たちに目を向けるためにもテクストから遠ざかった。とはいえ、どうやって遠くから「読む」のか? 方法はいくつかある。例えば「世界文学への試論」では社会学の世界システム理論を援用しつつ、文学史研究を渉猟して。「スタイル株式会社」では18-19世紀の英国小説を例に、そのタイトルだけを、しかもその単語数やどんな固有名詞か(女性人物名か男性か、など)といった要素のみを、ビッグデータを扱うように統計処理して。「ネットワーク理論、プロット分析」では『ハムレット』や『紅楼夢』をTVドラマ風の人物相関図に落とし込んで。モレッティは遠読の理論化を深めながら、様々な実践・挑戦を並べてみせる。

もちろん、方法が目新しいだけの見かけ倒しであれば話にならない。しかしこうした分析から、各国文学史の綜合・比較の可能性、イギリス小説の受容史、洋の東西における小説の歴史や構造の違いをめぐる仮説などが鮮やかに示され、その手腕は刺激的だ。いささか逆説的ながら、本書の幕開けとして冒頭に置かれた「近代ヨーロッパ文学――その地理的素描」からも窺える、氏の広汎な文学的教養の裏打ちがあるからだ。『遠読』のタイトルのもとに一冊に編まれた本書には、伝統的人文知とデジタル技術の幸福な融合としてのデジタル・ヒューマニティーズの萌芽が見える。

もっとも、その主張に全面的に賛成することは難しく、新技術の必然というべきか、今後の展開を待つべき面も多い。しかしこれまでも様々な批評理論(精神分析、フェミニズム、ポスト植民地主義etc.)が示してきた通り、私たちの思考は何かしら無意識の前提に縛られている。あえてモレッティの挑発にのってみれば、今までとは異なる遠くの風景が見えてくるはずだ。それは新しい地平線か、それとも出来合いの書き割りか、はたまた、本物をしのぐ奇譚のようなパノラマか……。足元を確認するためにもたまには遠くを見てみる。『遠読』はそんな役に立ってくれると期待したい。

copyright Imai Ryoichi 2016