みすず書房

私たちは、今現在を意味づけるために、過去のトラウマを選び取りながら生きている

橋本明子『日本の長い戦後――敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか』山岡由美訳

2017.07.25

私たちは「戦後」の意味を、それぞれ自分なりに解釈している。そこに「合意がない」のは、

まさしく敗戦に対する異なった意味づけが混在し、相容れず、それでいて、それぞれの敗戦の記憶に深く刻み込まれているからではないでしょうか。本書は、この不整合で拮抗する国民の語り口を並行して読み解きながら、それらが「戦後」に浸透しているさまを描いています。海外のメディアではよく、日本の歴史認識問題を一面的に「健忘症」と決めてかかりますが、実はそうではなく、上記のように多面的な現実のありように光をあてれば、本質を見極めやすいのではないでしょうか。敗戦のトラウマという視点から戦後をとらえることは、その一つの試みです。

ここでいう「トラウマ」は、精神医学上の現象だけでなく、文化的な意味合いを含んでいます。この二つは違うもので、私たちが個人的にトラウマを経験しても、文化的なトラウマが必然的に発生するわけではありません。たとえば中国でタブー視されている文化大革命は、多くの人たちにとって個人的なトラウマであっても、文化的にはかならずしもトラウマ現象になっていません。逆に、ユダヤ人の大量虐殺というホロコーストは、個人的なトラウマである以上に、人間はこういう行為までできるものなのだという、人類にとっての文化的、社会的なトラウマになっています。こうして私たちは、今現在を意味づけるために、なにかしら過去のトラウマを選び取りながら生きているといえるでしょう。日本の場合、私たちは敗戦という過去のトラウマを文化的、道義的な拠りどころとして、長い歳月をかけて選び、選びなおしながら、「長い戦後」の文化をつくってきたのではないでしょうか。

(本書の巻頭に収められた「日本の読者のみなさまへ」から、一節を引いてご紹介しました)