2019.03.26
『これからの微生物学』訳者あとがき(矢倉英隆)
パスカル・コサール『これからの微生物学――マイクロバイオータからCRISPRへ』矢倉英隆訳
ジョン・ラスキン『ヴェネツィアの石』井上義夫編訳
2019.03.26
(巻末の「訳者解説」より以下にウェブ転載)
1851年3月に出版された『ヴェネツィアの石』第1巻には「基礎(ファウンデイション)」という副題がついている。ヴェネツィアの礎が築かれたという意味と、『ヴェネツィアの石』全体の基礎となる調査・研究がこの巻に収められているという意味を兼ねた語である。本書に訳出した「石切り場」は、序文に続く全30章と補遺によって構成される『ヴェネツィアの石』第1巻の第1章に相当する。ラスキンはその章で、ヴェネツィアの歴史と建築を通覧したのち、『ヴェネツィアの石』全巻の骨格について読者に語っている。
「ヴェネツィアの建築に関して、ある諸特徴に行き当たるたびに個々別々に法則の系を立てるか、それとも読者に忍耐を請い、まず全般的な考察をおこない、そのあとで読者とともに、理非の法則の系を確定し、すでにみたものを遡及的にその法則と照らし合わせるようにするか、というふたつの選択肢があった。そして後者のほうがもっとも退屈かもしれないが、同時に最善の方法だと思われたのである。それゆえ次の各章では、建築のことなど考えたこともない読者にもわかるような、明瞭にして簡明な形で、私がヴェネツィアの建築について語る際に依拠することになる批評の基礎を配列するように努めた」という第49節の文章がそれである。つまり、第1巻では建築一般に関する諸法を記し、第2巻、第3巻でそれを参照しながらヴェネツィアの建築の歴史について述べるというものであり、ラスキンはあえて読者にとって「もっとも退屈かもしれない」「最善の」方策をとった。
このため、建築というものの役割について述べた第2章と建築物を6つの部分に分割した第3章のあとには、第4章から最終章の第30章まで、壁、柱、アーチ、屋根、窓等々に関する一般的考察がなされ、ラスキン自身がさまざまな建築物の各部を観察・調査した細かなスケッチが付される。「建築のことなど考えたこともない読者にもわかるような、明瞭にして簡明な形で」とのラスキンの言にもかかわらず、それはあたかも建築学の専門家だけに益するところの大きい専門書の一部のような外観をまとっている。『ヴェネツィアの石』全巻を一般読者に対して縁遠い著作にした原因は、おもにその大部さと第1巻のこの特殊な性格にあった。
1853年7月に出版された第2巻は、本書に訳出した6章のほか、第3章「ムラーノ」、第5章「ビザンティン期の邸宅」を加えた全8章と補遺によって構成される、常識的な意味でまとまりのよい読みやすい巻である。同じ1853年の10月の出版による第3巻は、本書に訳出した3章と結論に加え、補遺と人名索引、地名索引、事項索引、ヴェネツィア索引から構成されている。全362ページのうち補遺までは249ページであるから、約3分の1が索引に充てられたことになる。(…)
『ヴェネツィアの石』全巻のもうひとつの特徴は、『建築の七燈』とは異なり、執筆時の著者が関心を抱く他の事柄が紛れ込み自己主張をする度合が大きいということである。晩年その関心が今日言うところの経済学の価値論にまで及んで『胡麻と百合』や『この最後の者に』を著したラスキンにとって、建築もまた人の営みの他の局面と不即不離の関係にあったから、ある事柄に関する叙述は他の主題を呼び覚まし、記述はおのずから脱線の趣を呈する仕組みになっている。このこともまたラスキンの画期的なこの著作を一般読者に近づきがたいものにする要因である。
ラスキン自身もこれらのことを意識したのかどうか、1879年に、第1巻からは第1章「石切り場」のみを採録した2巻本仕立ての旅行者版(The Traveller’s Edition)『ヴェネツィアの石』を編集、出版した。その内容は下記のごとくである。
〈第1巻〉
第1章 石切り場/第2章 玉座/第3章 トルチェッロ/
第4章 サン・マルコ寺院/第5章 ドゥカ―レ宮殿
〈第2巻〉
第1章 初期ルネサンス/第2章 誇れる者の悪意/第3章 墓所の通り/第4章 「不信仰」/第5章 「メネ」/第6章 カステロ・フランコ/
補遺1 グロテスク・ルネサンス/補遺2 ヴェネツィア索引
第2巻第2章「誇れる者の悪意」は「ローマ式ルネサンス」から第11-22節と第41-44節を省略し、第45節を章の結びにしたもの。第3章「墓所の通り」は同じ「ローマ式ルネサンス」の第46節を第1節とし、第85節までを採録したもの。第4章「不信仰」はこれも「ローマ式ルネサンス」の第92節を第1節とし、第102節までをそのまま採録したあと、第103節を4節に分かって収録したもの。第5章「メネ」は初版の「グロテスク・ルネサンス」第1節から第22節の途中までをそのまま同じ節数を付して収録し、第23節を新たに書き加え、最後の節第24節は初版の「グロテスク・ルネサンス」第76節を再録した。この章題はアラム語の「メネ・メネ・テケル・パルシン」すなわち「数えられ、数えられ、量られ、分けられた」の意で、バビロン最後の王ベルシャザルの王宮の壁に書かれていた。預言者ダニエルはこれをベルシャザルとその王国の崩壊を予言するものとして解読したが、ラスキンはその言葉にヴェネツィアの末路を重ね合わせたのである。第6章「カステロ・フランコ」全7節20ページは、新たに執筆された雑文と近著三編からの抜粋からなる。(…)「補遺1」は、初版の「グロテスク・ルネサンス」の第52節から第67節までを節に分かたずに収録したもの。「補遺2」は基本的に初版第3巻からの採録である。
この旅行者版『ヴェネツィアの石』には、また新たな欠点と不足がある。第一に、『ヴェネツィアの石』の中心部とも言うべき第2巻第6章「ゴシックの本質」が再録されていないばかりか、ラスキンがあれほど精力を注いだゴシック期の建築がドゥカ―レ宮殿のみによって代表されている。「ドゥカ―レ宮殿」の章は、この特殊な建物の建築経過の考察に主眼が置かれているから、ゴシック建築の特徴や具体例が読者の目に触れることがない。第二に、その代わりとしてかなりの紙幅を占めるのがルネサンス建築とさまざまな墓所の彫刻であるが、そもそもラスキンの建築論の一大特色はルネサンス建築を貶めるところにあるから、旅行者版『ヴェネツィアの石』は、あたかも下等な芸術とその背後にある原理を詳述したヴェネツィア建築の案内書という観を呈するのである。第三に、「補遺1」は、第3巻についても言えることだが、文学を対象にしてグロテスクを論じており、ほとんど建築とは関係がない。
これらのことを勘案し、『ヴェネツィアの石』を翻訳するにあたって訳者が採った方針は、著者ラスキンの叙述の最良と思われる部分を再現し、非本質的と考える部分を省くことにより、読みやすい分量に収めながら、同時に原著書の形をできるだけ崩さないでおくということである。
各章は節に分かれ、各々の節には番号が付されているが、そういう趣旨から、煩雑と読みにくさを厭わずこの番号は省かなかった。節の最後が〔…〕で終わっているのは、その節の後続部が省略されていることを意味する。また、節と節の間に一行の空きがある場合は、その間の節自体が省略されているという意味である。
翻訳には以下の版を用いた。
The Works of John Ruskin, edited by E. T. Cook and Alexander Wedderburn. London : G. Allen.
Vol. 9 The stones of Venice; 1 The foundations / by John Ruskin; with illustrations drawn by the author, London : G. Allen , 1903.
Vol. 10 The stones of Venice; 2 The sea-stories / by John Ruskin ;with illustrations drawn by the author, London : G. Allen , 1904.
Vol. 11 The stones of Venice ; 3 The fall and examples of the architecture of Venice / by John Ruskin ; with illustrations drawn by the author, London : G. Allen, 1904.
2019.03.26
パスカル・コサール『これからの微生物学――マイクロバイオータからCRISPRへ』矢倉英隆訳
2019.03.25