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2019.10.10トピックス

古典的名著「人種と歴史」を、第一人者・渡辺公三の新訳で

C・レヴィ=ストロース『人種と歴史/人種と文化』 M・イザール序文 渡辺公三・三保元・福田素子訳

寛容は、かつてあったもの、今あるものに対して甘い顔をしてみせる観想的な立ち位置などではない。それはありたいと欲するものを予見し、理解し、助成する、ダイナミックな態度なのだ。人類の文化の多様性は、われわれの背後に、われわれの周囲に、われわれの眼の前にある。そこでわれわれが主張できるただひとつの要請は(それぞれの個人に、それは対応する義務をうみだす)、ひとつひとつの形態が、他者のもっとも大きな寛容性への寄与となるような、そのような形態のもとで多様性が自らを実現することである。(「人種と歴史」渡辺公三訳)

ディディエ・エリボンとの対談『遠近の回想』でインタヴュアーのエリボンに、『人種と歴史』を発表してからは純粋に民族学的な観点を離れていわば〈政治的レベル〉、現代の問題に直接関係する地点に立ったといってよいかと問われて、レヴィ=ストロースは「あれは頼まれて書いたものです」と答えている(『遠近の回想』[増補新版]竹内信夫訳、263頁)。

自分から進んでは書かなかったと思うとレヴィ=ストロースは言葉を継ぐが、にもかかわらず、「人種と政治」と題されたひとつの章が立つほどに(『遠近の回想』第16章)、「人種と歴史」と「人種と文化」をめぐってそこから対話はつづき次第に熱をおびていく。いわく、人種差別とは明確に定義できる信条であって4点に要約できる。このような理論、それに基づく行為は、擁護しえない。しかし、文化と文化の対立は、それとは次元の違う問題である……(『遠近の回想』269頁)。「単一文化、というのは無意味です。そのような社会はかつて存在したことがないからです。すべての文化は攪拌と、借用と、混合から生まれたものです」(『遠近の回想』273頁)。

1952年の『人種と歴史』と、翌53年からのユネスコ事務局長時代にレヴィ=ストロースが一般向け啓蒙誌『クーリエ・ド・ユネスコ(ユネスコ便り)』に精力的に執筆した一連の論考が、さかのぼって20代の社会主義学生活動家時代から、晩年に展開された炯眼の文明批評まで、一貫して常に時代と向き合い思考する精神を示していることは、渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』によって明らかにされている。すでに渡辺公三『レヴィ=ストロース――構造』でも、『人種と歴史』は各所に言及され、重要な位置を占める著作として注目されていたことが確かめられる。著作集『身体・歴史・人類学III 批判的人類学のために』では、生涯に三度、「いわゆる学問的著述の枠におさまらない辛辣で闊達な批評にかなりの活動と時間を割いた時期」が指摘され、そして『人種と歴史』は「そこに示された歴史観はまだ十分議論に値する」と端的に評されている。

この『人種と歴史/人種と文化』には、訳者健在なら収められていたはずの渡辺公三「訳者あとがき」がない。巻末に編集部からの注記のかたちで、本書の解説としてご参照いただきたい上記3文献を掲げた。繰り返しになるがここにも書誌を記したい。

  • 渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書、2009年、増補、平凡社ライブラリー、2019年)、とくに第3章2「ユネスコと野生の思考」
  • 渡辺公三『レヴィ=ストロース――構造』(現代思想の冒険者たち20、講談社、1996年、現代思想の冒険者たちSelect、講談社、2003年)、とくに第3章2「歴史の遠近法」
  • 渡辺公三『身体・歴史・人類学III 批判的人類学のために』(言叢社、2018年)、とくに第I部第4章「国民国家批判としての文明論」ならびに第III部第7章「冷戦期における「構造」の生成」

「人種と歴史」と「人種と文化」は、今日的意義の照明のもとで一気呵成に読まれるべきではなかろうか。なぜならそれらはひとつの偉大な思考作品として、われわれを取り巻くこの世界と消滅していく諸世界についての同じひとつの考察の、切り離しがたい二側面を共に形作っているからである。(イザール「序文」福田素子訳)




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