みすず書房

「舞台裏の医師」という表現の裏に見える矜持

ヘンリー・ジェイ・プリスビロー『意識と感覚のない世界――実のところ、麻酔科医は何をしているのか』小田嶋由美子訳 勝間田敬弘監修[16日刊]

2019.12.10

(当ウェブサイトのために書評をおよせいただきました)

澤畑 塁

(HONZ レビュアー)

自身が治療を行うことはめったにない。手術の数分前に患者と引き合わされ、術後には自らの存在をすっかり忘れられている。そんな役割を担う自らの仕事を、著者はこう表現する。「舞台裏の医師」。

本書は、アメリカの麻酔科医が綴った医療エッセイである。著者のプリスビローは、麻酔科医として30年以上のキャリアを積み、これまで3万回以上の処置を行ってきたという。患者は、700グラムの極小未熟児から、とんでもなく太ったティーンエイジャー、はてはメスのゴリラ(!)まで。本書では、そうした数多の経験から選りすぐられたエピソードが惜しげもなく披露されている。

「舞台裏の医師」と称しているからといって、著者はなにも自嘲しているわけではない。むしろ、自らの仕事とその重要性に並々ならぬ矜持を抱いている。著者は言う。

おそらく他のどんな専門医も、麻酔科医ほど基礎科学(解剖学、病理学、生理学、薬理学)および臨床医学の全分野(内科、外科、小児科、産科、場合により精神科)に精通し、他の想定しうるすべての専門分野にかかわる広範囲かつ包括的な知識を維持している者はいないだろう。…麻酔管理をしているとき、私は内科医、産婦人科医、そして小児科医になる。

この矜持が最もわかりやすく表れているのが、第9章のエピソードだ。生後12か月の女の子に鼓膜チューブとヘルニアの修復手術をしようとしたときのこと。著者は、パルスオキシメーターのビープ音のピッチから、女の子が以前肺炎を発症した患者であることに思い至り、彼女の命を間一髪で救うことになる。

だが著者は「めでたしめでたし」とはしない。それは自分のミスであると言う。ミスのひとつは、肺炎の原因をあらかじめ突き詰めなかったこと。もうひとつのミスは、「問題なし」という小児科医の判断を盲目的に信じてしまい、自ら診察を行わなかったことだ。そうしたうえで、著者は次のように自らを戒める。「信頼せよ、ただし確認を怠るな」。この言葉には、「自分こそが問題に気づくべきだった」「自分ならば問題に気づくことができた」という強い自負が見てとれるだろう。

ほかにも目の離せないエピソードは多い。なかでも印象的なのは、「痛みの緩和」をテーマとした第11章と第12章だろうか。著者は、手足を拘束された少年を中国で目撃し、また、脳性麻痺の男性が「囚われた脳」について語るのをテレビで観て、自らが果たすべき役割について考え方を改める。そして以後は、「ありとあらゆる痛みを消し去ること」を自らの課題とし、さらには、「コミュニケーションをとれない患者の痛み」にも配慮するよう努めていくのである。

訳文も滑らかで、本文は200ページほど。数日で無理なく読めるから、本書に挑むうえでのハードルはけっして高くないだろう。経験豊富な医師による上質なエッセイを、肩の力を抜きながら存分に楽しみたい。

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