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防災の日に

9月1日の防災の日には、各地で大地震にそなえる避難訓練がおこなわれたり、個人でも非常食や緊急時の持ち出し品の点検などなさる方がきっとおいででしょう。いつ起きるかわからない、でも必ずいつかどこかで起こる自然の災害に対して、過去の経験から何かできそうなことはあるでしょうか。

五十嵐太郎編『見えない震災』は気鋭の建築史家・建築批評家の編集になる、その副題のとおり「建築・都市の強度とデザイン」を問う本です。「構造設計」とは何か、「耐震構造」はいかに歴史的に構築されてきたか、阪神・淡路大震災の復興過程はどのような経験を蓄積させたのか……意匠・構造設計から都市のデザインまで各分野の専門家が結集し、緊迫した問題提起と考察をくりひろげます。

外岡秀俊『地震と社会』は、ジャーナリストの情熱と責任で書き上げられた本です。1995年1月17日の阪神大震災当日からほぼ一年間、現地を中心に取材を続けた著者は、この大地震をめぐる問題点をすっかり洗い出そうと決意しました。日本の地震学の成立から書き起こし、歴史的なパースペクティヴと谷崎潤一郎、宮武外骨、賀川豊彦や数々の震災記録を含む関連資料、リアルタイムの取材を織り交ぜ、立体的にまとめあげられた阪神大震災の包括的ドキュメントです。

中井久夫『昨日のごとく』は、神戸の街に迅速に設立された〈こころのケアセンター〉の長となった精神科医・中井久夫が、震災後一年余の推移を綴るとともに日々の現場をレポートしたもの。著者はこの本に先立つ編著『1995年1月・神戸』(現在は品切)を、震災後わずか二カ月で世に問いました。それは精神科医39人による被災地の一カ月間のドキュメントでしたが、『昨日のごとく』はこの前著をひきついで、3月にオウム真理教事件も起こったこの災厄の年の、被災者、街、〈こころのケア〉のその後を綴ります。

『災害とトラウマ』は、その〈こころのケアセンター〉編による、1997年神戸で開かれた国際シンポジウムを骨子とする8人の報告集です。大災害の後のトラウマとこころのケアの必要について、いまではすっかり周知の問題となりましたが、そのきっかけはやはり阪神・淡路大震災だったでしょう。『災害とトラウマ』では、子どもや犯罪被害者を含むケアも論点となり、こころのケアセンターの実践や地下鉄サリン事件の経験もとりあげられています。

ラファエル『災害の襲うとき』は原書刊行1986年、訳書初版89年にさかのぼる基本文献ですが、やはり阪神大震災の後いっそうの注目を集めるようになりました。自動車事故から台風や地震、火災、放射能汚染や環境破壊まで、現代人がつねにさらされている災害の脅威の詳細なデータをもとに、災害の本質、死と生存、立ち退きと再定着など、災害の諸相を心理学的にくまなく考察し、さらに被災者ばかりか救援者までもが受ける精神的打撃を明らかにしてその対処法を示し、災害の研究・対策に新しい視点を導きいれた先駆的・画期的な本です。

藤本幸也『心の断層』は、震災から七年後の検証の本です。ジャーナリストの著者が、救助や救援の鍵を握っていた人物の内面で何が起きていたのかを解き明かし教訓を探るために、兵庫県の元幹部や自衛隊指揮官から市井の人まで、さまざまな人々を訪ね歩きます。「私なりに強く感じたことを三つだけ挙げておく。第一に、震災とは渦中にいたほとんど全ての人間にとって、想像力が極めて発揮しにくい事態だったということ……第二に、日本の1990年代に限っては災害心理が総体として社会を防衛する方向に働いたという事実……そして第三に、その社会防衛の偉業はほとんどが無名の市民によって成しとげられたという事実……」。

かなり精神医学とジャーナリズムの視点に立つ本のご紹介が多くなりましたが、文学者の鋭敏な眼と心で捉えられた阪神大震災の本を二冊、おしまいにご案内したいと思います。佐々木幹郎『やわらかく、壊れる』は、読売文学賞受賞の詩人のしなやかな都市批評。そして佐々木美代子『記憶の街』は、つい前日の午後まで神戸に帰省していた著者が東京のテレビで知った大地震から五年間、「半ば被災者、半ば目撃者」である一人の女性として生きた日々を語る長篇エッセイです。




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