みすず書房

トピックス

『ドイツを焼いた戦略爆撃1940‐1945』

イェルク・フリードリヒ 香月恵里訳

第二次世界大戦中に英米軍がドイツ全土に加えた空爆は、延べ400回、死者数は60万人に及ぶと言われる。しかし戦後、ナチによる犯罪の贖罪に努めてきたドイツでは、これが国民の苦しみとして描かれることはほとんどなかった。その封印は21世紀に入ってからようやく解かれ、そのきっかけとなったのが本書の刊行である。

2002年に本書がドイツで刊行されたとき、人々はこの大著を貪るように読み、さまざまな議論が堰を切った。各国語版も刊行され本書の評価は高まっていったが、同時に、これはドイツ人戦争被害者論ではないのか、という声もあがった。それが本書の論旨でないことは一読して明らかなのだが、このような指摘が絶えない背景には、空爆被害が極右勢力の持論正当化に利用されてきたことへの警戒と、1987年にドイツでおきた「歴史家論争」がある。いずれにしても、600万のユダヤ人を虐殺した国において、その民間人の苦しみをどう扱うのかが問題だった。
それ自体が永遠に決着のつかない問題かもしれないが、事をさらに困難にするいくつもの要因があった。日本人ならば、東京大空襲で、広島で、長崎で、人々がどんな死に方をしたかを知っているが、ドイツではそうではなかった。長らく黙されてきたため、凄惨さの描写は、それ自体がスキャンダルとなってしまった。著者の心的葛藤が表われたいくつかの記述が、読者に不快感を抱かせた。いくつかの用語の遣い方をめぐって激論が生じ、数字をめぐって争いが起こった。「容認される大量殺人はありうるのか」「戦争犯罪とは何か」という議論は、お決まりの不毛な議論をいくつか片づけることから始めなくてはならず、ときにはそれに終始した。
本書の英語版はアメリカのコロンビア大学出版から出されたが、イギリスではコロンビア大学出版の版がそのまま書店に並び、イギリスの版元がこれを出すことはなかった。そのイギリスでは、爆撃戦争の偉業を讃えるためのメモリアルが建設されるという。「もう一つの過去」を克服できすにいるのは、ドイツだけではない。

今年は奇しくも日独交流150周年の年であるそうだ。本書が刊行される2月22日前後には、ドイツと日本における大規模空襲の記念日がある(2月13日ドレスデン、3月10日東京)。近隣諸国を侵略し、アメリカ軍による大規模空襲を受け、さらに唯一の被爆国でもある日本で本書がどう受けとめられるかは、本書をめぐるこれまでの議論の行方にとって大きな意味を持つだろう。




その他のトピックス