みすず書房

トピックス

舘野泉『ピアニストの時間』

[10月19日刊]

「私の両親は共に音楽家で、多い時には百人近くの生徒にピアノを教えていたので、私は幼い頃からごく自然に、シューベルトやモーツァルト、ベートーヴェンやショパンのピアノ曲に親しんできた。」本書に収めた一文の書き出しである。さりげなく読めてしまうこの言葉がなにをあらわしているのか、昨年の暮れに舘野泉さんをご自宅に訪ねて、初めて感じとることができた。

今でこそ東京の「オシャレなタウン」といわれる自由が丘だが、わたしにとってはなにより、うまい居酒屋「金田」のある町。その「金田」の前を過ぎてしばらく歩き、通りから奥に突き当たったところに、舘野さんの「東京の家」がある。玄関から板張りの廊下をすすみ、ガラス障子を引き開けて入ると、和室二間をぶち抜いた部屋にグランドピアノがあった。失礼ながら、立派なお屋敷というには程遠い。天井も、長押も、欄間も、わたしにすら馴染みある和室の、なにもかもが懐かしいのだ。鴨居にわたした板にずらっと古い本が並んでいるのも見覚えのある光景。

なんとここが、泉さんが育った舘野家、冒頭の一文でご両親が近所の生徒さんにピアノを教えていた家屋なのである。昨年、朝日新聞夕刊に連載されたインタビュー記事にも部屋の写真は載っていたのに、その場所でご本人と向い合っていると、戦後まもない時期のある意味で希望にみちた雰囲気が伝わってくるようだった。ご一家の全員が音楽にかかわって、いつも音楽が流れている楽しい家!

高校生の舘野さんは、大阪のササヤ書店から取り寄せた輸入楽譜でシベリウスのピアノ曲に出会う。そして芸大を首席で卒業した翌々年に初めて訪れたフィンランド。「それは少年の日に沈丁花の強い香りの中で予感していたのと同じで、私は自分が今、自分の存在すべき場所にまさしくめぐりあったのだ、というようなことをとりとめなく考えていた。」70年代末に書かれていた一文だが、どことなく須賀敦子さんの文章を思わせないだろうか。

今年がピアニストとしての演奏生活50周年、来年にかけて自主コンサートをはじめ日本各地で演奏会をおこなう予定の舘野泉さん。フィンランドに住みつづけ、世界的な演奏家として、また近年は「左手のピアニスト」として、多くの聴衆を感動させてきたし、これからも感動させることだろう。その舘野さんのふとした表情に、少年の、青年の面影がきざす瞬間があって、そこが素敵である。『ピアニストの時間』を読みながらふと起こる感興もまた、それに似ている。

(編集部 尾方邦雄)




その他のトピックス