みすず書房

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O・ブイガス『モデルニスモ建築』

稲川直樹訳

「ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開』(1936)にはガウディについてさえいかなる言及もなかった。この遺漏は続く改訂のなかで訂正されたが、モデルニスモが総体として採りあげられたわけではない」。本書第I章の注のなかで、ブイガスはこんなふうに注意を促している。そこで1949年の改訂版を原本とする邦訳(小社1957年刊)で確認してみると、本文にガウディの名はなく、口絵最終ページに1点(グエイ邸)、また注の三ヵ所で登場するだけである。

この「訂正」によって、少なからぬ重要性がガウディに与えられてはいた。新しい装飾の流儀、つまりアール・ヌーヴォーの建築におけるふたりの創始者としてルイス・サリヴァンとヴィクトール・オルタを挙げたところで付された注に「あるいは第三にアントニ・ガウディを加うべきかもしれない」とあるからだ。ただし、文章はこう続く。「しかし彼は、その活動の初めから死まで、19世紀後期の他の先覚者とは非常に違った背景を有し、近代運動の取った方向とは非常に違った方向を辿った一種のアウトサイダーで、従って、彼にある歴史的地位を与えようとするごとに、誰しも迷ってしまうのである」

まことに正直な吐露で建築史家の困惑ぶりがみてとれるが、1960年の論文「ガウディ、パイオニアかアウトサイダーか?」にいたって、ペヴスナーは近代建築の発展を形づくるふたつの線として「厳格主義」と「表現主義」を位置づけ、後者筆頭にガウディを掲げるようになる。そしてブイガスは、この展望によりいっそうの精度およびアクロバティックな変更点を加えつつ、ガウディをモデルニスモ建築のなかで、モデルニスモをヨーロッパ建築の「近代運動の取った方向」のなかでとらえ、そこに「歴史的地位」を与えることになるのである。はたしてどのような精度、どのような変更点なのかは、本書をひもといてご確認いただきたい。

さてペヴスナーによる表現主義の系譜の最後には、ロンシャン教会堂が設定されていた。この作者は1928年、バルセロナを訪れている。「われわれは翌日シッチェスへ行った。街道でひとつのモダンな家が私の注意をひいた。ガウディである」。「モダンな家」とはグエイ家酒蔵庫(本書ではガウディの弟子バランゲー作としている)を指し、酒蔵庫外壁にみられる乱石積みが、帰国後設計されたスイス学生会館で採用されている。見たのはいうまでもなくサヴォア邸完成前、「白の時代」ただなかのル・コルビュジエ。




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