みすず書房

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『メアリ・シドニー・ロウス』

シェイクスピアに挑んだ女性 楠明子

左の肖像画の中央に立つ若い女性が、この本の主人公レイディ・メアリ・シドニー・ロウス(1587[?]-1651/53)といわれている。国民的英雄サー・フィリップ・シドニーの姪にあたる。背後に立つ女性はメアリの母で、初代レスター伯夫人のバーバラ・ガメッジ・シドニー。背景に飾られている絵には、前方に馬が立ち、奥の木立の辺りには貴族の女性と侍女と思われる人物が描かれている。
この肖像画は、16・17世紀に生きた女性の、ある特徴を描くことが意図されているように思われる、と著者はいう。まず背後の絵画は、女性の義務は家庭を守ることで外出はなるべく控えるべきという当時の社会通念に反して、馬で女性が遠出をしていることを示している。さらにメアリ・ロウスの左耳を飾るイアリングのような円形の物体は、母親のものと比べると、大きさも形も普通のイアリングとは異なるのがわかる。

この茶色のものは、当時の習慣にあった恋人の巻き毛の耳飾りであろうという。彼女の恋人ウィリアム・ハーバートは、劇作家シェイクスピアのパトロンでもあった。メアリは結局、エセックス州の大地主の嫡男でジェイムズ国王の寵臣のひとりサー・ロバート・ロウスと結婚するが、ハーバートはメアリにとって生涯の恋人だった。夫の死後に双子の庶子をもうけてもいる。知的な宮廷人・武人・詩人のハーバートは、従妹のメアリに特別の愛情を持ってはいたが、常に恋する多くの女性に囲まれていたという。一方のメアリは一途に彼を愛しつづけ、当時、人間の尊厳のように使われた「コンスタンシー」(誠実さ)を体現した女性である――ということが、まず本書のはじまりのところで、いきいきと紹介される。

「貞節・寡黙・従順」が理想の女性像として掲げられていたイギリス・ルネサンス社会で、これらすべての規範から逸脱した勇気ある女性。メアリのように社会的地位の高い女性が、男性作品の翻訳ではなく創作を刊行すること、ましてそこで社会のイデオロギーに反旗を翻すことは、当時の常識を著しく無視する行為だった。シェイクスピア作品をどのように書き換えることで、英国史上初の女性作家はどのように誕生したのか。メアリの華麗な挑戦が全6章のドラマに展開する。



メアリと母をモデルにしたといわれるダブル・ポートレイト(ペンズハースト館当主ドゥライル子爵所蔵、本書8ページ)


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