みすず書房

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志水哲也『生きるために登ってきた』

山と写真の半生記 [24日刊]

本書でも語られているが、数年前、志水哲也のスライド写真を背景に二代目高橋竹山が三味線を奏するというコンサートが、上野の東京文化会館で開かれた。
盛況のうちにコンサートは終わり、人混みでざわついているロビーで、ある人が連れにこんなことを話しているのを、たまたま耳にした。
「志水哲也の『果てしなき山稜』っていう本、あのころよく読んだよ。オレの登山のモチベーションの糧だったんだ」

そう、ある程度きびしい登山には、なによりもモチベーション(やる気)が必要なのだ。誰が見ているわけでもないのに、何が楽しいわけでもないのに、寒く、怖く、辛く、危険な山へ、わざわざ一人で突っ込んでいく。なんのために? それをやらなきゃ生きている気がしないからだ。

志水さんの20代の口癖は「死んでも登る」だった。不穏な言葉ではある。でも、自分が生きている意味のすべてを登山に集約してしまった人、まさに“生きるために”登っている人にとっては、危なげのない登山ではなんの意味もない。死のリスクを甘受してでも登りつづけなければ、けっして“生きている”という充実感は得られないのだ。

暗く、思いつめた、それでいて燃えるような目を、一心に前へ向けて歩きつづける人。どこかなつかしいその後ろ姿。志水さんの山行記には「昭和」の匂いがする。“青春”“情熱”“生きがい”“挑む”“闘う”“打ち込む”“燃えつきる”といった言葉が、衒いのない生々しさで現れる文章。喩えれば「スポ根物」を読むようななつかしさ。

情熱や根性をバネにした登山は、今では流行らないかもしれない。それでも、そんな泥臭い重厚な登山からしか得られない成果を、たしかに志水さんは作品として文章に残してきた。そんな作品の集大成がこのたびの自叙伝である。登山は流行らなくとも作品は古びない。『巨人の星』や『あしたのジョー』が古びないように。

しかも本書はフィクションではなく、現実の人生の物語だから、ドラマは登山だけでは終わらない。野球をやめた飛雄馬、ボクシングをやめたジョーはどうするのか。登山家から写真家に転向した志水さんの現実のドラマに、終わりのない闘いの日々を読み取っていただきたい。

■志水哲也 写真展のお知らせ

志水哲也写真展「白神 水と緑の回廊」が、2011年5月20日(金)から26日(木)まで東京・赤坂の富士フイルムフォトサロンで開かれます。
「黒部幻の滝を始め、全国各地を取材している自分が屋久島の次に目標にしたのが白神山地だった」「まず白神最大の魅力は世界一といわれるブナの数にあると思いヘリコプターで春と秋2回空撮を行った。次に森の中で繰り広げられているドラマをとらえたくて稜線、森、渓谷、海岸、世界遺産コアエリアにいたるまで足を使って分け入った。清冽な渓流に身を浸し、濃密な藪や深雪をかき分け、ブラインドに隠れて野鳥を待ち、撮影を続けてきた」
そして、今回展示されるのは2008年から3年間に撮影された最新作。同展は7月15日(金)から21日(木)まで富士フイルムフォトサロン・大阪で、のち全国5カ所のモンベルサロンで開催の予定です。
http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/tokyo/s2/11052002.html




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