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長田弘『アメリカの心の歌』

expanded edition

ルシンダ・ウィリアムズという歌手がいる。英語版ウィキペディアには「アメリカのロック、フォーク、ブルース、カントリーのシンガー・ソングライター」と紹介されている。四つの音楽ジャンルが並列されていることに注目していただきたい。1970年代、それまで別物だったこの四つが融合した時代にデビューしたのが彼女なのである。鳴かず飛ばずの十年を経て、『ルシンダ・ウィリアムズ』と自分の名を冠したアルバム(1988年)で知られるようになる。その中の一曲「Passionate Kisses」は、四年後に人気歌手メアリー・チェイピン・カーペンターがカバーして大ヒット、その年のグラミー賞ベスト・カントリー・ソングに輝いた。

そんなこととは露知らず、私がルシンダの名を知ったのは、さらに十年が経過した1998年のアルバム『Car Wheels on a Gravel Road』を聴いたときのこと。このアルバムには参った。格別のカントリー音楽好きではない私にも、彼女のかすれた声と、単純だが強い歌詞と、それを乗せる楽曲のうねりは心に響いた。たぶんその頃、初めて長田弘さんにお会いした。本書の初版(岩波新書)が出て二年、雑談の折に私はきっと、ルシンダ・ウィリアムズを好きだと自慢したのだろう。とうにご存じの長田さんは黙って聞いていて、数年後に『ルシンダ・ウィリアムズ』のCDをくださった。今回の増補改訂版(expanded edition)『アメリカの心の歌』を校正しながら、そのCDを聴きなおし、ルシンダの若い歌声とポップな曲調にあらためて驚いた。2000年代に入って数年ごとに出る彼女の新作を聴いてきたが、どんどん音数は減り、言葉は縮約され、深くしゃがれた声による念仏のようになっていたから、かつての若さが新鮮だった。そこで生年を調べてみると、私と同年のわずか四日違い、ルシンダもじきに還暦を迎える。『ウエスト』のジャケットに引用された二行詩の作者ミラー・ウィリアムズは父親で、詩人にして大学教授らしい。

本書には一回だけ、ルシンダの名が現れる。エミルー・ハリスのアルバム『レッキング・ボール』についての文章から引用しよう。「エミルーの歌にニール・ヤングのハーモニーとハーモニカがくわわった、新しい歌つくりの一人、ルシンダ・ウィリアムズのつくった《スウィート・オールド・ワールド》という歌は、聴けばとらえられずにはいない《よい歌》の魅力をそなえているが、およそ類型をもとめる歌のありようからは離れた歌だ。」さりげないが、なんと味わい深い評言だろう。

「アメリカの原風景である小さな町々のアメリカ、カントリーとしてのアメリカ」(本書あとがき)は歌のなかにこそある。『アメリカの61の風景』につぐ、長田弘さんのアメリカーナ三部作の一冊『アメリカの心の歌』は、Song of Americanaについての本である。ここではルシンダ・ウィリアムズの一例だけを記したが、本書に登場する数多くの歌つくりや歌うたいを通して、私たちは大統領選挙の背景にあるアメリカ人の心に触れることができるだろう。

(編集部 尾方邦雄)

◇朝日カルチャーセンター「長田弘の詩の世界」IX

東京・西新宿の朝日カルチャーセンター新宿教室で、10月13日・11月10日・12月8日(いずれも土曜日、15:30‐17:00)の全3回、「長田弘の詩の世界」IXが開講されます。『アメリカの心の歌』が第2回でとりあげられます。受講料会員8820円、一般10710円(入会不要)、お問い合わせ・お申し込みは朝日カルチャーセンターへ。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=178754&userflg=0




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