みすず書房

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P・ジャネ『心理学的自動症』

人間行動の低次の諸形式に関する実験心理学試論 松本雅彦訳

「無意識」の発見は、20世紀の思想を変えた。フロイトがその基本構想とした無意識概念は、人間に対する理解を根本から変容させ、後世に多大な影響をもたらした。だが、「無意識」を発見した人は、もう一人いる。それがピエール・ジャネだ。

19世紀末、P・ジャネはフロイトと同じくパリのサルペトリエール病院で、ヒステリー患者の治療にあたった。当時隆盛していたヒステリーはまさに近代を象徴する病で、その病の把握を通して、精神医学は成立したのである。ジャネはフロイトと同じ場所から出発し、同じ時期に「無意識」を発見した。だが二人は異なる道を歩んだ。フロイトの思考は近代における人間の変化を捉え、文化にまで射程を広げたのに対し、ジャネは徹底して臨床にとどまり、力動精神医学を確立した。

ジャネとフロイトの間には、理論的にも、個人的にも確執があった。そしてフロイトの展開した「無意識」が認知されるようになると、ジャネはフロイトの影に隠れて忘却された。5000を超えるカルテが遺言によって焼却されたのも、その足取りをたどることを困難にした。

ところが、20世紀後半になって、忘れられたはずのジャネの理論がふたたび脚光を浴びることになる。多重人格性障害や解離性障害の出現だ。多重人格、解離、トラウマ、PTSD…。いわば現代を象徴するこの病の治療に、ジャネが発見した解離や下意識の洞察が大きなヒントを与えたのである。

ヒステリーの現代版ともいわれる多重人格性障害や解離性障害だが、文化的・時代的環境によって、病の現れは大きく異なる。にも拘わらずジャネが参照されるのは、あくまで臨床にとどまり、人間を見るその基本姿勢ゆえではないか。

ジャネは本書で、ヒステリー患者にあらわれる多彩な心理現象に分け入り、その文法を緻密に分析し、「無意識」の発見に辿りつく。その豊かな臨床的洞察は、心理学という学問が、あくまで患者の治療から出発したことを想起させる。臨床の現場が薬による治療中心になり、「心」とは何かという意味まで変容していく今日、ジャネにふたたび注目することの意味は大きい。本書は「無意識」を見事に理論化した、決定的な書物だ。




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