みすず書房

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小野二郎『ウィリアム・モリス通信』

《大人の本棚》 川端康雄編

早朝から引っ越し以来部屋の中央に積まれたままのダンボールのなかをこじあけたり、本の山々をかきわけたりしたものの、いっこうにみつからない。腰が痛くなってあきらめた。探しものは中公文庫版の小野二郎著『ウィリアム・モリス』。なにぶん読んだのは20年近く前のことで、内容を語ることはおぼつかない。ただ提示された文献の量といい、手堅くポイントを確保して地を踏みならしていくブルドーザーみたいな論述スタイルは記憶に焼きついている。
同じ著者であっても、こんど川端康雄さんによって新たに編まれた本書にそんな印象はみられない。むしろ思考は強靭なバネとして身を潜ませつつ、自由奔放に話題が展開するアクロバティックなエッセーといった趣きである。じつは『ウィリアム・モリス』(初版は中公新書、1973年刊)とこれら文章とのあいだには、サバティカルを利用してのイギリス滞在という経験が横たわっている。

同世代で同時期に新日本文学会で小野編集長、小沢事務局長の間柄だった小沢信男さんによると、「それからだった。小野二郎の文章が、かなり読みやすくなったのは。やはり留学は効能があるのだろう。あるいは彼の生涯の研究テーマの、ウィリアム・モリスがすごいのか。現場でたっぷりモリスにもまれるうちに、ある日彼は脱皮したのではなかろうか」(『通り過ぎた人々』2007年、小社刊)。
ロンドンを皮切りにコッツウォールド、ベックスリ・ヒース、ミドルトン・チェイニイへ。カンタベリー、スコットランド、さらにダブリン、アミアンやヴェネツィアへ。「官能的な思索者」(前掲書)によるモリス・デザイン(だけではないが)フィールドワークの旅は1973年7月から翌年6月まで続けられた。そして見たものを見たままに語り伝え、形あるもののうちに実現された思考の糸をたぐりよせること。それは「社会主義の〈感覚的基礎〉」を読み取ることでもあっただろう。

「モリスの思想は、作品と分離したどこか中空に漂っているものではなく、彼が共同制作のかたちでつくりだした壁紙や織物、ステンドグラス、印刷本といった個々の作品に物質化されていること、それらテクストの表面・肌理に文字どおり織り込まれているにちがいないこと、そしてそれがモリスを考えるうえでの根本であることが、この時期以後、小野が片時も手放さなかった原則である」(編者解説より)
しかしながら帰国後の著者に残されていた歳月は、わずかに8年。没後30年の現在もなお「新しい次元」を示しつづける「批評的モリス紀行」の一端、その豊潤な味わいを本書で堪能していただければと思う。

ところで、むなしく終わった本探し。むろん脱線に脱線を重ねながらなのだが、夕闇も迫るころ、四散していた谷川雁の現代思潮社版著作集を本棚に収めついでにひもといてみたところ、その1冊『原点が存在する』最初の版元へのあとがきにこうあった。例の「シッ――ええ、いま1500行目くらいのところです」の数行あとに、いわく「弘文堂と、そこの小野二郎君に感謝するしだいである」。1958年11月7日の日付あり。「ツノ出せ、オノ出せ、オサダ出せ」の晶文社を設立する前の小野二郎さんがそこにいた。



ミドルトン・チェイニイ、オールセインツ教会東窓の一部(撮影・川端康雄)


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