みすず書房

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西成彦『世界文学のなかの『舞姫』』

シリーズ《理想の教室》 完結

1993年に刊行された著者・西成彦さんの『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)において、森鴎外は「明治期の文人の中で衛生学的思考を文学の中に導入した筆頭的存在」としてあらわれ、その傍証として『舞姫』はこんなふうに素描されていました。

「豊太郎がまず目を奪われるウンテル・デン・リンデン大通りが新時代を画する衛生的空間であるとするなら、エリスが本拠とするクロステル街は時代遅れの非衛生的な区画だ。そして、出世街道を踏み外してエリスとの同棲を始めた太田豊太郎がふたたびエリート日本人として、長かった留学生活に終止符を打とうとするときに、エリスもまた〈癲狂院〉に送られ悲しい余生を送ることになる。この結末において、あまりにも対照的なこの二人の運命に共通するのは、二人がともに近代的な衛生学の捕囚と化し、〈更正〉へのスタートラインに立たされる点にある」

しかしながら、16年後の本書では、ともすれば主人公・太田豊太郎とエリスに重ねあわされる著者・森林太郎、エリーゼ・ウィーゲルトというモデル問題も検討しつつ、同時代の他の実在モデルや後代の世界文学とともに作品をとらえかえすことで、この結末はよりいっそう宙吊り度を強め、新たな相貌を帯び始めたようです。

「『舞姫』が現代にも生き延びているとしたら、それは〈本国〉の引力といかに渡り合うかという課題に私たちもまた気がつかないうちに巻きこまれているからです。〈本国〉を見失うのではないかという恐怖は、私たちの心に重たくのしかかっています。しかし、その恐怖にただ身をすくめていればいいというものではありません。〈本国〉からの救いの手をふりはらい、そこを逐われながら、それでもたくましく生きていくひとびと、生きていけるひとびとのなかに、太田豊太郎や私たちが混じってもかまわないのではないか」

その後の太田豊太郎、「あなたなら、どう生きた?」――シリーズ《理想の教室》、掉尾を飾る力作の登場です。




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