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野見山暁治『遠ざかる景色』
〈大人の本棚〉
野見山暁治先生
拝啓 余寒なお厳しき折、いかがお過ごしでしょうか。今頃は唐津湾を臨むアトリエで羽根を伸ばしていらっしゃることかと存じます。
おかげさまで新刊の『遠ざかる景色』が出来上がり、めでたく本日発売となりました。アトリエに見本を送りましたが、カバーの色はいかがでしたでしょうか。とても気になっています。と言うのも、先生に電話で「どんな色がお好みですか?」とお訊きしたところ、「色は言葉で伝えられんからそちらで決めてください」と言われ、かえってプレッシャーに感じ、相当悩みました。年末に頂戴したあとがきの「これはいつのことだったのだろう。その折々の様子も、それをこうして書きとめていたことも、本当に〈遠ざかる景色〉になりおおせてしまった」というくだりで、夕焼け雲に包まれるような感覚に襲われたことを思い出し、こんな色にしてみました。ぜひ感想をお聞かせください。
野見山先生に、「これまで出された本の中から《大人の本棚》シリーズに」とわがままを申し上げてから1年になるでしょうか。画家でありエッセイストでもある先生に対しては、その華やかな経歴もさることながら、戦歿画学生の絵を収蔵・展示する「無言館」設立者の一人として、私のなかでは大きな存在でした。銀座のみゆき画廊で初めてご挨拶したのちも、展覧会のレセプションなどでお話しする機会にめぐまれ、とうとう本の編集までさせていただいたことが今でも信じられません。
復刊したい本が多数あって私が迷っているときも、「ぼくは自分の書いた文章を、ああしたい、こうしたいというのはないんだよ。好きに選んでください」と言われ、自分の好きな本を選ぶことにしました。結果的に、『遠ざかる景色』に決めたのは会心の選択だったと思います。美校時代に絵の道具を携えて故郷の山中をさまよい歩いた幻想小説風の「夜道」をはじめ、気難し屋の建築家にアトリエ設計を頼んだ顚末記、どこまでもエキセントリックな義弟・田中小実昌、銀幕のスターやシャンソン歌手への賛辞、再訪したパリの変貌、不思議な魅力をもった在スペイン大使館員Nさんの回想……どの章を読んでもノミヤマギョウジの限りない魅力が横溢しています。
白眉は「ある鎮魂の旅」でしょうか。まだ美術館建設の構想も何もない頃の、戦歿画学生が遺した絵の存在を確かめる旅の記録です。戦後30年という時流の中で忘却された記憶の回収作業を一身に引き受け、全国の遺族一人ひとりと対峙していくさまに圧倒されました。「無言館」のコンクリートの壁に並べられた画群が、観る者に発するあの問いかけの重さを、ほんの少しですが理解できました。ほんとうに、この本を復刊してよかったと思います。
福岡にはいつまでいらっしゃいますか?福岡空港国際線ロビーのステンドグラス除幕式や、佐賀の「ギャラリー憩ひ」の個展など、このところご多忙でしたね。92歳になられてもあちこち飛び回っておられるのには感服いたします。東京に戻られたら、また楽しいお話を聞かせてください。先生にはお聞きしたいことが山ほどあります。私もあれこれネタを仕込んで参上します。そういえば「ある鎮魂の旅」にも登場する、ガダルカナルで戦死した彫刻家・高橋英吉の企画展が宮城県美術館で3月まで開催されています。そのうち観に行くのでご報告させてください。
東京はまた雪が降りました。福岡も冷え込みが厳しいでしょうから、どうか風邪などひかれませんように。またお会いできる日を楽しみにしております。
敬具
2013年2月8日
みすず書房 Y拝
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