みすず書房

フランクル『夜と霧』から (10)

読み広げる 2019年夏の読書のご案内

2019.07.31

フランクル『夜と霧』について

精神科医ヴィクトール・E・フランクルが、ナチス・ドイツの強制収容所に囚われたみずからの体験をつづり、極限状況におかれた人間の尊厳の姿を余すところなく描いた『夜と霧』。世紀をこえ、世代をこえて、読み返され、読みつがれています。
夏休みの青少年読書感想文全国コンクールにも、おもに高等学校の部の自由図書に毎年のように選ばれ、そこから年々すばらしい作品が生みだされています。

『夜と霧』には、池田香代子訳の「新版」(2002年刊)と霜山徳爾訳(初版1956年刊)のふたつの版があります。両方が並行して版を重ねるというたいへん異例の出版です。
新版は、この永遠の名著を21世紀の若い読者にも伝えつづけたいという願いから生まれました。フランクル自身が大幅な改訂をほどこした1977年のドイツ語版にもとづく、真新しい翻訳です。 …続きを読む »

『夜と霧』のふたつの版はどちらも、現在は電子書籍として配信もしています。

『夜と霧』から読み広げる読書案内

2007年以来、フランクル『夜と霧』から読み広げる読書案内を考えてきました。今年は、この春から夏にかけて刊行した『シュテットル』と『ナガサキ』の二冊をご紹介しながら、「記憶を甦らせる努力」(『シュテットル』の序文の一節)ということを考えてみたいと思います。

「責任も同じく記憶から始まるのである」(序文)

エヴァ・ホフマン『シュテットル――ポーランド・ユダヤ人の世界』小原雅俊訳

シュテットルとは、イディッシュ語で「小さな町」の意味。ホロコーストによって人も文化も消え失せた、ブランスクという町の歴史とそこに住んだ人々の姿を、この本は浮かび上がらせていきます。

あらゆる記憶の行為は、ある程度、想像力から生まれるものだ。私たちにはもはや、ショアについても長く多様な過去についても「全事実」を再構築することはできないからである。しかし、ひとつのことだけは確かだ。すなわち、真実と過去は、ノスタルジーか恨みかが示唆するイメージよりもはるかに横断的であり、重層的であり、多面的なものだ。本書は、党派的立場をとり過ぎず、ステレオタイプにとらわれない過去へのまなざしのささやかな試みである。何よりもまず、ブランスクという名のポーランドのシュテットルの歴史である。ベラルーシとの国境近くに位置するブランスクは戦前、約4600人の住民を数え、うち半数以上がユダヤ人であった。現在そこにはユダヤ人はいない。したがって本書は記憶の書であり、記憶をめぐる書物――というよりは記憶の多数の層を論じた書物である。(序文)

著者がこの本を書くきっかけになったのは、テレビ番組で放映されたドキュメンタリー・フィルム「シュテットル」だったといいます。また、著者は1945年にポーランドに生まれ、13歳で両親とともにカナダに移住した人ですが、両親が戦前ブランスクからさほど遠くない小さな町に住んでいたことも、著者を執筆に向かわせたといいます。ブランスク周辺の案内をしてくれたのは、いまはかつてのシュテットルではなくなったブランスクに住む郷土史研究家の青年ズビグニェフ。著者はズビグニェフとともにブランスクを歩き回り、田舎道をたどり、定期市を訪ね、復元された墓地を訪れ、さまざまな住人に会って話をきき、記録や回想録を読んで、生活の豊かな細部をとらえ、共生と破局の物語を描いていきます。

著者エヴァ・ホフマンの代表作『記憶を和解のために』は、このコーナーでも以前にご紹介しました()。直接に体験したことのない世代が「はるか彼方のホロコーストをどうやって理解すればよいのだろう?」「ホロコーストの意味を次の世代に伝えていくにはどうすればよいのだろう?」と、真摯に自分自身に問いかける姿勢はこの『シュテットル』からもひしひしと伝わってきます。

ホロコーストに関して今春もう一冊、N・チェア/D・ウィリアムズ『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』という本も刊行しました。ナチのユダヤ人絶滅収容所内のガス室で働いていた「ゾンダーコマンド」(特別作業班)、それは、移送されてきたユダヤ人の中から選別された囚人たちでした。彼らゾンダーコマンドがひそかに書き残して地中に埋めた記録や手記や手紙、あるいは隠し撮りした写真、それら文書の全体像を初めて考察するのがこの本です。

「彼らの記憶のなかには私たちの心を奮い立たせるような、核戦争による長期の破滅的影響についての明白な事実が刻まれている」(まえがき)

スーザン・サザード『ナガサキ――核戦争後の人生』宇治川康江訳

被爆者の側に徹底的に寄り添った姿勢で書かれ、アメリカ国内で議論を呼び起こしたノンフィクションの邦訳です。

著者スーザン・サザードは1986年夏アメリカで、長崎原爆を生きのびた谷口稜曄(すみてる、当時57歳)の講演ツアーの通訳代理を務め、そのとき被爆者のことをもっとよく理解したいと心の底から思うようになります。「薄明かり灯る教会ホールで谷口の話にじっと耳を傾けたとき、私は自分が太平洋戦争の歴史、原爆の開発、そして原爆の使用が人間にもたらした結果について、いまだに何も知らないでいることを思い知った」(まえがき)。著者は16歳のとき日本に留学生として住み、修学旅行で長崎を訪れ、大人になるまで長崎のことを忘れたことはなかった、それなのに、「どうして被爆者のことを具体的に何も知らなかったのか。原爆投下直後のキノコ雲の下で、そしてその後何十年ものあいだ被爆者が味わった痛ましい経験を、実際大部分のアメリカ人がほとんど知らないか、まったく知らないままでいるのはなぜなのか」(まえがき)と。

1945年8月9日のあのとき、ごくふつうの10代の若者だった「語り部」たち5人が主要登場人物です(堂尾みね子、永野悦子、谷口稜曄、和田耕一、吉田勝二)。5人の被爆者とのインタビュー計22回、さらにその親族、関係者への聞き書きに加えて、他の多くの被爆者や治療に携わった医師たちが残した証言、アメリカ軍兵士・司令官の手記、公文書資料などにあたりながら、12年をかけてこの本は書き上げられました。

そして訳者もまた、著者サザードからの強い希望を受けて、インタビューに答える被爆者の言葉をできるかぎり忠実に引用するために、膨大な録音記録とみずから格闘しました。こうして、ときに長崎弁を交えながらの語りが、この訳書に再現されています。

「当時は落下傘と言ってました。ふつうのパラシュートで、たぶん兵隊さんが降りてきよんだろうと思いました」と吉田は振り返る。
「おーい! 落下傘が落ちてきよんよ!」吉田は友達に向かって叫んだ。日の光をさえぎってよく見ようと額に手を当てながら、友人たちはみな空を見上げた。
「そのパラシュートは、さあっと落ちてきよった」。それは静かに、音もたてずに舞い降りてきた。
(第一章 集束)

「綿密かつ情熱的で思いやりに満ちた、このうえない歴史書」と、歴史家ジョン・ダワーはこの本を評しました。再現された日本語の語りで、ぜひお読みになって下さい。

フランクル『夜と霧』池田香代子訳[新版](みすず書房)カバー

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