みすず書房

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ヴィクトール・フランクル『夜と霧』から

2008年夏の読書のご案内――原爆、水爆、核兵器をめぐって

ナチス・ドイツの強制収容所に囚われたみずからの体験をつづるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。限界状況におかれた人間の尊厳の姿を余すところなく描いた本として、世紀をこえ、世代をこえて、読み返され、読みつがれています。夏休みの青少年読書感想文全国コンクールにも、毎年のように、おもに高等学校の部の自由図書に選ばれ、そこから年々すばらしい作品が生みだされています。

霜山徳爾訳『夜と霧』が初めて刊行されたのは、まだ終戦から11年めの1956年夏のことです。第二次世界大戦下のホロコースト(ショアー)やアウシュヴィッツのことは、当時よく知られているとはいえなかったので、訳書には、ドイツ語版原書にない解説や写真資料を独自に加えて出版されました。『夜と霧』は空前の反響をまきおこしました。この本に出会ったときの衝撃を、多くの方が公私さまざまな場所で語ってこられましたから、それに接する機会のおありだった方もまた数多いことでしょう。

1956年初版の『夜と霧』

2002年に池田香代子訳の『夜と霧』新版が世に出ました。この永遠の名著を21世紀にも伝えつづけたいという願いと、さらに著者フランクル自身による大幅な改訂(1977年)とにもとづく、真新しい翻訳です。解説・写真資料は削って、フランクルのテクストそのものの力で訴えかけるシンプルな本に戻し、若々しくなめらかな翻訳がいっそう読者の層を広げました。ところが、新版の刊行をきっかけに新旧の翻訳の両方にあらためて讃辞が寄せられるという予想しない出来事が起こったのです。それをうけていまも、霜山徳爾訳・池田香代子訳がともに版を重ねるという異例の出版がつづいています。

さて昨2007年夏は、『夜と霧』からホロコーストを知るために読み広げていく読書案内の一例をご紹介しました。そしてフランクルというひとを知るための、伝記――フランクル夫妻が信頼する年若い友人に執筆をゆだねた、ほとんど自伝のかわりといっていい『人生があなたを待っている』や、精神医学者としての仕事のなかで生きる意味を探究した著作のご案内もそえました。

今年は日本に目を転じて、太平洋戦争の体験といえばおそらく真っ先に語られることの多いヒロシマ・ナガサキの原爆に関連して読み広げてみたいと思います。

1945年8月6日、世界で一つめの原子爆弾「リトルボーイ」広島に投下。8月9日、二つめの原子爆弾「ファットマン」長崎に投下。この時点で世界には三個しか原爆は製造されていませんでした。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、第二次世界大戦・太平洋戦争は終結します。
しかし戦争も核兵器も、現に世界のようすを見ればあたりまえのことですが、これで終わったのではありません。終戦とともに始まったアメリカ・ソ連の冷戦のもと、「鉄のカーテン」の両側で核兵器の開発競争が進みます。1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁近くの海でマグロ漁をしていた静岡県焼津港出港の遠洋漁船、第五福竜丸の乗組員は、見たことのない強烈な光を目にします。「西から太陽が上がってきた」と驚くうち轟音に包まれ、しばらくして真っ白な「死の灰」を浴びます。アメリカの水爆実験で被爆したのです。
乗組員のひとりだった大石又七は、全国各地の小中学校、高校をめぐって体験を語りつづけています。「俺の中のビキニ事件はまだ終わっていない」。こびりついて消えない記憶に資料類を照らし合わせ、事件の全貌を浮かび上がらせようと、事件の始まりから現在までを一人称「俺」で語りとおす『ビキニ事件の真実』は、大石氏の講演を聴くようにして読める本です。

1995年、つまり第二次世界大戦終結50周年の年に、ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館の館長マーティン・ハーウィットは、広島に原爆を落としたB29爆撃機エノラ・ゲイの展示を中心に、アメリカ初の原爆展を企画しました。ハーウィット館長は、あらかじめ戦勝記念あるいは反戦平和を目的にしていたのではありません。エノラ・ゲイの任務遂行から50周年を控え、この飛行機の修復作業がまもなく完了しようとしていました。修復後にどう展示すべきかをめぐっても、館の内外で長い議論が交わされてきていました。ハーウィットは、国立の博物館には国家の歴史を調査し、それを忠実に物語る責任があり、エノラ・ゲイは歴史的に位置づけて展示されなければならないと考えたのです。
計画が明らかになるや退役軍人たちの抗議が殺到します。原爆投下はアメリカ・日本両国の人命の損失を最少に食い止めた、先見の明もあり勇気もあり、人道的ですらある行為ではないか。議会での激しい論議。もとエノラ・ゲイ機長ポール・ティベッツ退役将軍との折衝。日本の関係者の側では、原爆投下を正当化する展示になりはしないかと疑念を示します。理解を得るために何度も重ねる訪日と説得。学芸員たちの創意工夫。展示台本の練り直し。しかしついに開幕直前に原爆展は中止され、エノラ・ゲイが単に第二次大戦の最も有名な航空機として、原子爆弾の運搬と投下を初めて可能にしたテクノロジーの成果としてだけ展示される結末となるまで――辞任したハーウィットが一部始終を書き上げた克明なドキュメントです。

1988年12月、おりから昭和天皇の病状が刻々報道されるなか、戦争責任をめぐる長崎市長・本島等の発言が電撃のように日本列島を走りました。まきおこる非難、脅迫、支持、批判、そして狙撃事件。この本島市長のほかに、沖縄国体で日の丸の国旗を焼いた知花昌一と、殉職した自衛隊員の夫が靖国神社に合祀されるのを拒んで訴訟を起こした中谷康子との三人を、アメリカ人の父と日本人の母のあいだに生まれたシカゴ大学の学者ノーマ・フィールドが訪ね、会い、話し、そこにありありと見えてくる十五年戦争(太平洋戦争)と現在の日常のさまざまの問題を考えていきます。『天皇の逝く国で』はちょうど、いま高校生の方々が生まれる一、二年前の物語ではないでしょうか。

〔在庫僅少です。まことにおそれいりますが図書館などご利用下さい〕

「42個の水爆が床に横たわっている部屋に足を踏み入れた。水爆は鎖でつながれてもいなかった。それぞれが、広島を破壊した原爆の10倍の威力をもっていた。この体験によって、人類が置かれた状況の危うさをまざまざと思い出させられた。これがきっかけになり、自分の孫が生き延びる見込みを大きくする手だてについて真剣に考えるようになった」。フリーマン・ダイソンは、朝永振一郎/ファインマン/シュウィンガーが共同でノーベル賞を受賞したとき、いっしょに名を連ねていてもよかったといわれる世界的物理学者です。「核兵器にさよならする日は、まだはるか先ではっきり思い描くには遠すぎる。ことによると、100年先かもしれない。そのときが来るまでは、できるかぎり責任をもって、また落ち着いて核兵器とともに生きなければならない」。ではどのように? 兵器開発にも関与し、軍備拡張の抑制にも行動を起こすダイソンの提案はきわめて明晰です。『科学の未来』は、どこまでも科学的に、人類の遠い未来へ想像力をはたらかせます。

戦時中、日本も原爆をつくろうと研究していました。むろん20世紀前半はヨーロッパで原子核物理学が飛躍的発展を遂げた時代です。そして学問と軍事技術の接近は避けがたい勢いでした。
1930年代から50年まで日本の原子科学を主導した人物が、理化学研究所(理研)の仁科芳雄博士です。『仁科芳雄』は仁科博士と研究をともにした人々の証言を編んだ評伝です。この本には原子爆弾の開発についてはっきり書かれてはいませんが、陸軍や海軍から委嘱された軍事研究があったことや、核分裂のエネルギーを爆弾よりも動力として利用することを目標にしていたという証言があること、ウラン濃縮を研究することで若い優秀な研究者が戦場に連れ出されるのを防ごうとしていたのだとうわさされてもいたことなどが書かれています。敗戦後に占領軍の原子力研究禁止令をめぐる誤解から、理研のサイクロトロンが完全に破壊されてしまったいきさつは詳しく語られています。32ページにわたるたくさんの写真が、当時の雰囲気をものがたります。また『仁科芳雄往復書簡集』第3巻は、読みものというには少しとりつきにくい資料的な性格の本ですが、戦中から戦後復興にかけての時期の仁科博士をめぐる貴重な記録と解説を収めています。

朝永振一郎は1932年に理研の仁科研究室に入り、仁科のもとで研究に邁進します。のちに1965年度ノーベル物理学賞を受けるだけでなく、すぐれた文筆でも知られますが、その著作を貫く大きな流れのひとつは、核兵器問題、平和問題に対し科学者の立場から向き合うエッセイや講演、対談、声明です。たとえば『朝永振一郎著作集』の第4巻『科学と人間』の一節。「第二次世界大戦というたいへんな出来事のあったときに、まず物理学者の間で考え方にかなり変化がでてきた。それは原爆の出現でした。原子爆弾ができましたときに、物理学者は自分の専門である物理学の力があまりにも強大であることを思い知らされたわけです。……科学者のいじくりまわしているのは、科学者だけにしか理解できないもの、しかもそこから原子爆弾のような恐ろしいものが出てくる。……そういうわけでこういう抽象的な世界をいじくりまわしては変なものを作り出す人たち、科学者、つまりわれわれですが、それは普通の人間であろうか、何かやはり魔法使いみたいなものではないかという目で見られる。ごらんのように別に角もはえてないのですが」(184-185ページ)。さらにすすんで、科学者は核の脅威に対してどう責任を果たすことができるのか。第5巻『科学者の社会的責任』ではとりわけ、1955年のラッセル=アインシュタイン宣言に始まる科学者の国際的な運動「パグウォッシュ会議」をめぐって、晩年の情熱が惜しみなく注ぎ込まれた文章の数々を読むことができます。

 

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