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2015.07.28トピックス

フランクル『夜と霧』から (7)

2015年夏の読書のご案内

最新刊『トレブリンカ叛乱』――その後、消し去られてあとかたもない死の収容所からの生還

精神科医ヴィクトール・E・フランクルが、ナチス・ドイツの強制収容所に囚われたみずからの体験をつづり、極限状況におかれた人間の尊厳の姿を余すところなく描いた『夜と霧』。世紀をこえ、世代をこえて、読み返され、読みつがれています。
夏休みの青少年読書感想文全国コンクールにも、おもに高等学校の部の自由図書に毎年のように選ばれ、そこから年々すばらしい作品が生みだされています。

『夜と霧』には、池田香代子訳と霜山徳爾訳のふたつの版があります。両方が並行して版を重ねるというたいへん異例の出版です。池田香代子訳の「新版」は2002年の刊行ですが、これをきっかけに新旧の翻訳のどちらにもあらためて讃辞が寄せられるという予想しない出来事が起こったからです。
2002年の新版は、この永遠の名著を21世紀の若い読者にも伝えつづけたいという願いから生まれました。フランクル自身が大幅な改訂をほどこした1977年のドイツ語版にもとづく、真新しい翻訳です。いっぽう霜山徳爾訳は、終戦から11年めだった1956年夏の初版以来、日本でながく読みつがれてきました。当時、ホロコースト(ショアー)やアウシュヴィッツのことはまだよく知られていませんでしたので、ドイツ語版にはない解説や写真資料を日本で独自に加えて編集されました。どちらの版にも愛読者がいらっしゃいます。切々と思いをこめたお声を、小社もたびたびおきかせいただくことがあります。

『夜と霧』のふたつの版はどちらも、昨2014年秋から電子書籍の配信も始めました。

2007年以来、『夜と霧』から読み広げる読書案内を考えてきました。この夏は、みすず書房の一連の刊行書に新たに加わったサムエル・ヴィレンベルク『トレブリンカ叛乱――死の収容所で起こったこと 1942-43』をご紹介したいと思います。

トレブリンカ絶滅収容所では70万人以上のユダヤ人が殺害されました。そのなかには「コルチャック先生」として知られるヤヌシュ・コルチャック(小児科医・作家・教育者、1878-1942)とコルチャックの「孤児の家」の子どもたちも含まれますが、この本の著者ヴィレンベルクは、19歳の青年だった1942年10月に、貨車でここへ移送されてきました。その日到着した約7000名が数時間のうちに全員ガス室に送られるなかを、たったひとり死を免れます。幼なじみのアルフレッドが収容所のユダヤ人特別労務班員として働いているのに出会ったからです。アルフレッドの機転で、ヴィレンベルクは特別労務班に入れられます。

彼は私を見て、誰なのか知りたそうだった。緊張の一瞬。「サメク・ヴィレンベルク」「あっ。サメクだ。お前、大工だって言わなくちゃだめだぞ」。こう言って、私のところを離れ、ひもの切れ端を渡し続けていった。まわりを見ると、来たばかりの者は皆、靴を脱ぎ、ひもで一足にしようとしていた。私も靴を脱ぎ、ひもで結んだ。SS隊員たちが来て、「裸になれ」「全部、脱ぐんだ」と命じた。

ウクライナ兵とSSは、「急げ、早くしろ」とさらに拍車をかけた。
そこへ一人、別のSS隊員が私の所にやって来て、「大工はどこにいる」とどなった。私は足がもつれ、やっと立ち、鋭く注意を向けているその男に真直ぐに向かった。シャツのボタンをはずし、汚れていろいろな色のしみがついた麻のスモックを見せる。それは画家である父のものだったが、今度の追放のあいだ、寒くないようにと着ていたものだった。

私の目はだんだんと小屋の暗さに慣れていった。周囲を見回しても誰もいない。私一人だ。
広場で何が起きているか壁穴に目を当て、一生懸命にのぞいた。持って来た荷物や衣類の包みが地面を敷き詰め、テクニカラーのじゅうたんのようであった。 
裸の男たちは、灌木でできた柵の開いている所から乱暴に中へと押し込まれている。広場には誰もいない。女たちも行ってしまった。

森一帯にあるいくつかの小屋の一つが調理場だ。昼食。濃いスープ、よく煮込まれていて、おいしい。
びっくりした。トレブリンカの食物はゲットーで手に入れることのできたものより良かった。そのとき知らなかったことだが、色んな国からトレブリンカに移送されてくるユダヤ人たちは飛び切り上等の珍味などを荷物に入れてくる。彼らがガス室へ行ってしまうと、食料品は移送広場に置き去りにされたままだ。ドイツ兵はそれをわれわれ囚人の栄養にと取っておく。あれこれ心配したユダヤ人の主婦が、きっとわずかに残った硬貨で用意をしたと思われる卵と大麦料理をスプーンで口元に運ぶ。

薄暗がりに、私の歴史の先生の嬉そうな顔が――誰だかわかった。(…)
「幼い娘も一緒にトレブリンカに来たが、やはり殺された。たった一人残された。移送者たちから離され、この死の工場の囚人になってしまった。サメク、お前は、ここの全ユダヤ人殺害の目撃者、証人なのだ。はっきり言わせてもらえば元教師として、歴史家としてこの事実を検証している」
こう言ってまた、腰掛けている台から私をこわがらせたあの目でじっと私を見つめ、私の手を握りしめ、小さな声でささやいた。
「ヴィレンベルク、お前は生き残ったんだ! ここから脱出しなければならない」

この本の第1章「見知らぬ土地へ」ではこのように、到着後まもない日々が語りおこされます。続いて、ガス室へ送られた人たちの衣類や所持品の選り分けを命じられ、その後ほどなく「偽装隊」に割り当てられて、収容所を囲む鉄条網の柵を松の枝で偽装する仕事につく日々が語られてゆきます。

この仕事は収容所を出て森に入ることになるからありがたかった。そのときでも脱走のことを考えていたからだ。

発疹チフスの流行があり、ドイツ兵やウクライナ兵の蛮行を目にし、収容所のシステムのさまざまなからくりに気づき、また仲間どうしで助け合ったりしながら、ヴィレンベルクは特別労務班員として生き延びます。翌年4月には、ワルシャワ・ゲットーからの移送者たちがゲットー蜂起のようすをありありと伝えます。そして、

1943年8月2日、私はこの日を絶対に忘れることはない。

特別労務班の叛乱にヴィレンベルクは加わり、収容所から脱出します。

戦後になって、ヴィレンベルクの記憶も生々しい1948年にインタビューがおこなわれました。そのとき書かれた手稿が、この本のもとになっています。しかし、初めて出版されたのはそれから40年近くもたった1986年のことです。
トレブリンカでは叛乱によって収容所の建物の多くが放火され破壊、焼失したので、ナチスドイツは再建をあきらめ、一切の痕跡を消し去ってただの農地と森であるかのように偽装しました。証拠隠滅の作業に酷使されたのも、最後に収容されていたユダヤ人たちでした。隠蔽工作が完了すると、ユダヤ人たちは虐殺されました。
今日、考古学者たちの発掘でも人骨はみつからず、トレブリンカ絶滅収容所の全貌はほぼ謎につつまれています。ヴィレンベルクの本は、この収容所の日々の実態を伝えるきわめて貴重な証言です。

だれが加害者でだれが被害者であるなど簡単には色分けできない現実。トレブリンカ絶滅収容所じたいの建設も、それに先立ってまずトレブリンカ労働収容所が建てられ、そこに囚われたポーランド人犯罪者やユダヤ人が絶滅収容所の建設に使役されたのでした。そうしたこの本の背景は、「訳者あとがき」でていねいに解説されています。


ワルシャワ・ゲットーの蜂起については、歴史家リンゲルブルムがゲットーの壁の内側から、悲劇の出来事を克明に記録していました。ノートは地下深く埋められ、戦後になって掘り出され『ワルシャワ・ゲットー――捕囚1940-42のノート』という本になっています。

ティフ編著『ポーランドのユダヤ人』は、「ユダヤ人死者を忘却から救う」ために、市民の教育と対話のためにポーランドで今世紀に入って出版された本ですが、地図や写真、日記や手紙や手記の抜粋をたくさん織り込みながら、基本的な史実を解説しています。

さて、今秋にはベトナム戦争をめぐるノンフィクション、ニック・タース『動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか』布施由紀子訳を刊行予定です。

いまからちょうど70年前の「終戦」以来、日本はまがりなりにも非戦をつらぬいてきました。けれども、第二次世界大戦の戦勝国側のアメリカは、それからいくつも戦争をしてきています。
今年はベトナム戦争終結からも40年。いま高校生のみなさんにとっては、ベトナム戦争はおそらく、ご両親の多くがまだほんの子どもだった頃の戦争ということになるでしょう。この戦争でアメリカは泥沼にはまりこみ、多大な犠牲を払いながら勝利をみることがなく、個人にとっても国家にとってもできることなら思い出したくない記憶として、深い心の傷を残しているといわれます。ベトナム戦争を題材にした映画作品などもいままで数多くつくられています。
『動くものはすべて殺せ』は、すぐれたジャーナリストが、機密文書や初めてのインタビューにもとづきながら、ベトナムのミーライ(ソンミ村)虐殺などがけっして例外的な事件だったのではなく、むしろ「動くものはすべて殺せ」という命令のもとに、アメリカ軍のほぼすべての部隊がおそるべき戦争機械となって遂行していた作戦だったことを明らかにします。
刊行までいましばらくお待ち下さい。


ヴィレンベルク『トレブリンカ叛乱』(みすず書房)カバー

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