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フランクル『夜と霧』から (2)

2010年夏の読書のご案内――書き手がさぐる戦争のかたち

ナチス・ドイツの強制収容所に囚われたみずからの体験をつづるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。限界状況におかれた人間の尊厳の姿を余すところなく描いた本として、世紀をこえ、世代をこえて、読み返され、読みつがれています。夏休みの青少年読書感想文全国コンクールにも、毎年のように、おもに高等学校の部の自由図書に選ばれ、そこから年々すばらしい作品が生みだされています。

霜山徳爾訳『夜と霧』が初めて刊行されたのは、まだ終戦から11年めの1956年夏のことです。第二次世界大戦下のホロコースト(ショアー)やアウシュヴィッツのことは、当時よく知られているとはいえなかったので、訳書には、ドイツ語版原書にない解説や写真資料を独自に加えて出版されました。『夜と霧』は空前の反響をまきおこしました。この本に出会ったときの衝撃を、多くの方が公私さまざまな場所で語ってこられましたから、それに接する機会のおありだった方もまた数多いことでしょう。

1956年初版の『夜と霧』

2002年に池田香代子訳の『夜と霧』新版が世に出ました。この永遠の名著を21世紀にも伝えつづけたいという願いと、さらに著者フランクル自身による大幅な改訂(1977年)とにもとづく、真新しい翻訳です。解説・写真資料は削って、フランクルのテクストそのものの力で訴えかけるシンプルな本に戻し、若々しくなめらかな翻訳がいっそう読者の層を広げました。ところが、新版の刊行をきっかけに新旧の翻訳の両方にあらためて讃辞が寄せられるという予想しない出来事が起こったのです。それをうけていまも、霜山徳爾訳・池田香代子訳がともに版を重ねるという異例の出版がつづいています。

さて2007年、2008年、2009年夏とつづけて、『夜と霧』から読み広げる読書案内を考えてきました。2007年はホロコーストと、フランクルというひとを知るための本、2008年は日本にとって太平洋戦争の体験といえばおそらく真っ先に語られることの多い、ヒロシマ・ナガサキの原爆に関連した本、昨年は絶対平和主義をつらぬいた文学者・北御門二郎の『ある徴兵拒否者の歩み』から、戦争体験をつづる手記へと読みつないでみました。

今年は、いま現代に暮らすわたしたちにどこかではっきりつながってきてしまうような戦争のかたちについて、必ずしも直接の体験がない書き手がさぐろうとした本をいくつかご紹介してみようと思います。

『日帝時代、わが家は』の著者で語り手の羅英均(ナ・ヨンギュン)は韓国のひと。1929年に、満州の奉天(いまの中国・瀋陽)に生まれた。幼いころ父から何度も、日本のこと――刑事に一日中追いかけられた話やロシアに逃げた話などを聞いたが、記憶のなかの父はいつも淡々とした口ぶりで、時にはユーモラスだったりこっけいだったりした。しかしある日、父の他界から40年たって偶然に目にした朝鮮総督府の身上調査書には、強盗殺人未遂、執拗な性格、大杉栄と交友、熾烈な排日思想と書いてある。
父の生まれたのは1890年。1894年に日清戦争、1905年日韓協商条約、1906年朝鮮総監府の設置。1910年日韓併合の年に父は日本へ留学する。一枚の紙切れをきっかけに、父が話してくれなかった過去の事実の大きさと重量感に押しつぶされそうになりながら、父の過去を掘り起こし書き下ろした著者はこういいます。「韓国に生まれれば、一生否応なく日本の影を背負って歩かなければならない。日本人にとっても事情は同じだろう。だから、この関係をどんな状態で維持すれば平和に共存できるかを考えないわけにはいかない。争いが続けば破壊につながるのだから、このことは私たちの永遠の歴史的課題でもある。」
おりしも今年は日韓併合100年にあたります。

ノーマ・フィールドはいまシカゴ大学の先生ですが、生まれは1947年、東京。子どものころ、母は結核になりアメリカ人との結婚も破綻してその後の数年間、茶色い捲き毛の「わたし」がスクール・バスで通学する以外に、どこかへいく必要があるとき連れていってくれるのはいつも祖母だった。 ――おばあちゃま、へんな子をお医者さんのところへ連れていくのは、いやじゃなかった?
――へんな子じゃないもん。自慢の子だもん。
「私の小宇宙の軸であった明治生まれの祖母」と、あとがきに著者は書いています。その祖母が二度目の脳出血で倒れ、1995年の夏、終戦五十年を記念する季節に、彼女は日本で祖母とかけがえのない日常を過ごします。自分の生きてきた道すじを見極めようとする思索が、子ども時代、家族、戦後史をめぐって行き来し、断章のすべてが連なりあって、社会と歴史と個人の過去について深い余韻を残します。

ここまで戦争、戦争、と書いてきたのはほとんど第二次世界大戦のことでしたが、むろん21世紀に入ったいまも、世界で戦争は終わっていません。『なぜ戦争は終わらないか』の著者の千田善は、ついこのあいだサッカーのワールドカップ南アメリカ大会でもスカパー公式コメンテーターのイビツァ・オシム元日本代表監督の通訳をつとめていた方ですが、東欧に詳しく、国際政治や民族紛争などを精力的に取材してきたジャーナリストなのです。『なぜ戦争は終わらないか』では、20世紀最後の10年のとくに旧ユーゴスラビア(ボスニア、コソボなど)にスポットをあて、きびきびした筆致で読み手を導きます。「初めに、どうして旧ユーゴスラビアの問題を学ぶのか、この問題のどこに学ぶ意義や価値があるのか。ひとことでいえば、わたしたちが住んでいるこの世界、わたしたちが生きている現代という時代を、少しでも平和なものにするためだ。」

「ベルリンの壁崩壊」は1989年11月のことですから、いま高校生の方々のほとんどにとって物心つく前どころか生まれる前の出来事でしょう。世界史の授業で習う範囲に属することという感じかもしれません。『ファイル――秘密警察とぼくの同時代史』は歴史家ティモシー・ガートン・アッシュが書いたノンフィクション。1978年、23歳の誕生日にガートン・アッシュは、オクスフォード大学を出たばかりの歴史家の卵として、ナチス時代の抵抗を研究テーマに、愛車アルファ・ロメオを運転して西ベルリンへ向かいました。資料の山に埋もれ、人を訪ね、ベルリンの壁の両側にわたった1980年前後の研究生活。ところが90年代になって、分厚いファイルが目の前にあらわれる。それは旧東ドイツの秘密警察(シュタージ)の監視記録。コード名は「ロミオ」。歴史家は、自分についての彼らの調査を調査する作戦計画をたて実行に移す。まるでスパイ小説ですが、ガートン・アッシュは歴史家、そして登場人物の何人かは実名でなく仮名ですが、虚構ではないのです。

『漢奸裁判史――1946‐1948』[新版]は、1977年公刊の初版本に、そののち公開された資料にもとづく最新の研究成果についての解説をそえて、昨2009年新たに刊行したものです。漢奸とは、日中戦争時、中国人でありながら日本に協力し漢民族を裏切ったとして非難する言葉。日本支配下の南京に国民政府をつくった汪兆銘や、南京国民政府の要人たち、清朝の皇族として生まれた男装の女優・川島芳子といった人たちが、戦後1946‐48年、漢奸と名指され裁判にかけられました。著者は1945年まで新聞社特派員として中国で取材をしていたジャーナリストです。執筆当時には裁判記録は見ることができず、新聞記事を基本の史料とするしかなかったのですが、いま再読しても「情報の正確度はいささかの遜色もみられない」と、新版にさいした解説に書かれています。解説者の劉傑には、他に著書『漢奸裁判』(中公新書、2000年刊)があります。

 

「夏の読書のご案内」



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