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ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

2007年夏の読書のご案内

ナチス・ドイツの強制収容所に囚われた自らの体験をつづり、限界状況における人間の尊厳の姿を余すところなく描いたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。この本は毎年、夏休みの青少年読書感想文全国コンクールでもおもに高等学校の部の自由図書として選ばれ、年々すばらしい作品が生まれています。

霜山徳爾訳『夜と霧』が初めて出版されたのは、終戦から11年めの1956年夏のことです。このとき、日本ではまだ、第二次世界大戦時のホロコースト(ショアー)やアウシュヴィッツのことはよく知られているとはいえませんでした。そこで訳書には、ドイツ語版原書にはない解説や写真資料を独自に加えるという配慮がなされました。発刊と同時に『夜と霧』は空前の反響をまきおこし、今にいたるまで、まさに世代をこえて読みつがれています。

1956年初版の『夜と霧』

2002年に池田香代子訳による『夜と霧』新版が世に出ました。この永遠の名著を世紀をこえて伝えたいという願いに加えて、著者フランクル自身が1977年に大幅な改訂をほどこしたため、その改訂版にもとづく新訳を実現したものです。旧版の解説・写真資料は削って、フランクルのテクストそのものの力で訴えかけるシンプルな本のかたちに戻し、若々しくなめらかな新訳がいっそう読者を広げました。
一方、新版の刊行をきっかけに新旧両方の翻訳にあらためて讃辞が寄せられるという、実のところあまり予想していなかったことが起こりました。それをうけていまも、霜山徳爾訳・池田香代子訳の両方が版を重ねているのです。

■ホロコーストについて知るには

ブルッフフェルド/レヴィーン他『語り伝えよ、子どもたちに』はその題名が示すとおり、ホロコーストという現代史の悲劇を理解し、異なる世代のあいだで対話しようとうながす本です。スウェーデン政府のプロジェクト「生きている歴史」叢書の一冊として書かれ、スウェーデンでは全国71万戸の子どものいる家庭にあてて、首相の手紙をそえた注文書が配布され、26万部の注文に応じて本が届けられました。こうしたいきさつや、またドイツ、フランスほか各国で公教育を通じて読まれているという興味深い解説は、巻末の高橋哲哉の文章をお読み下さい。同じく巻末に、杉原千畝について書かれた中村綾乃の文章も収められています。

つい先ごろ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のユネスコ世界遺産登録名が「ナチス・ドイツ」の語を加えた新名称に改められたと報道されました。これまでしばしば「ポーランドの収容所」と呼ばれ、ポーランドが建設や運営にかかわったかのような誤解を与えかねなかったからだといいます。日本ではむしろ、なんとなくアウシュヴィッツはドイツの地名かと思っている人も少なくないのではないでしょうか。そうです、アウシュヴィッツ=ビルケナウやトレブリンカの死の収容所が置かれたポーランドに向けて、ヨーロッパ中のユダヤ人が移送されたのです。さらにポーランドは戦前にユダヤ人が多く住んでいたので、そのためにホロコーストで最大の被害者(300万人)を出しました。しかも悲劇は終戦とともには終わらず、ポグロム(虐殺)があいつぎます。
このホロコースト体験を、いま現在にまではっきりとつながる歴史と文化のなかに、どう位置づけるのか。ティフ編著『ポーランドのユダヤ人』は、やはり市民の教育と対話のために、写真や日記・手記などをたくさん織り込み、ありありと、そしてわかりやすく書いています。編者フェリクス・ティフ自身はワルシャワ・ゲットーを脱出して生きのびた歴史家ですが、若い世代の歴史家たちと協力しながらきわめて抑制された筆致をつらぬいているだけに、事実の過酷さが読み手の身に迫ります。

ワルシャワ・ゲットーのことは『ポーランドのユダヤ人』にも詳しく書かれていますが、ゲットーの壊滅までをつぶさに記録したのがエマヌエル・リンゲルブルムの『ワルシャワ・ゲットー』です。リンゲルブルムは歴史家で、恐怖の三年間ゲットーの壁の内側でノートを書き続けました。「だれもかれもが書いていた……」とリンゲルブルムは書いています。ノートは地中深くにひそかに埋められ、戦後に廃墟から発掘されて、かけがえのない証言を記したこの本になりました。

文学あるいは小説のかたちで書かれる本もあります。文学や小説は、絵空事と同じ意味ではありません。文学や小説でこそ捉えられるホロコーストもあるにちがいありません。
エリ・ヴィーゼル『夜』は、15歳の少年としてアウシュヴィッツを体験した著者の自伝小説。〔この不朽の書は、2010年春、訳者の村上光彦自身により改訳され、著者ヴィーゼルの新たなまえがきをそえて「新版」となりました。〕
カツェネルソン『滅ぼされたユダヤの民の歌』は、ワルシャワ・ゲットーから救い出されながら、後にヴィッテルの収容所に送られ、アウシュヴィッツで殺された詩人がイディッシュ語でホロコーストを歌い上げた叙事詩です。クリューガー『生きつづける』は、10歳の少女時代に収容所に送られ、アウシュヴィッツ=ビルケナウから脱走して死をまぬがれた著者が、トラウマをのりこえて生きつづけていくために、過去の記憶に問いかける自伝文学です。

■フランクルについて知るには

フランクルは1997年に惜しくも世を去りましたが、晩年までロゴセラピーの仕事に全精力をかたむけ、自伝をまとめる余裕などありませんでした。ヴィクトールとエリーのフランクル夫妻は、年若い友人の臨床心理学者に全幅の信頼を寄せ、自分たちふたりの伝記をまとめてくれるよう招きました。そこでふたりの語りをもとに、インタビューや取材を重ねて生まれたのがハドン・クリングバーグ・ジュニア『人生があなたを待っている』(全2巻)です。
アウシュヴィッツの地獄の中から鍛え出された宝石のようなフランクルの心理療法の思想については、『夜と霧』に並ぶロングセラーの『死と愛』を、さらに、生きる意味を求めつづけたフランクルの精神医学については『フランクル・セレクション』全5冊をどうぞ。 (講演集『それでも人生にイエスと言う』や『フランクル・コレクション』は春秋社から刊行されています。)

■『夜と霧』新版と旧版

『夜と霧』の新版の巻末には、「『夜と霧』と私――旧版訳者のことば」(霜山徳爾)と、「訳者あとがき」(池田香代子)が収められています。霜山氏はドイツに留学中に『或る心理学者の強制収容所体験』(1947年刊)という粗末な紙の書物に出会っていたく心をひかれ、邦訳の許しを得るためにウィーンに著者を訪ねたこと、またその後の来日の折に、フランクルの熱心で強い説得力が濃いコーヒーのカフェインに支えられた懸命なものであるのをかいまみたエピソードなどをつづられています。そして池田氏の新訳にさいして、自分のように戦場体験のない、平和な時代に生きてきた優しい心は、流麗な「育ちのいい」文章を生むだろうと暖かい言葉を寄せられています。
池田氏のほうは、『夜と霧』に出会って深く感動し、影響を受けた者はおびただしい数にのぼるだろう、自分も高校生のときに出会って震撼した一人だと書き起こされています。そして霜山訳への心からの敬意をしるされたあと、改訂版との異同について、旧版には「ユダヤ」という言葉が「ユダヤ人」も「ユダヤ教」も含めてただの一度も出てこないという驚くべき事実を指摘されています。その理由として、フランクルはなによりも一民族の悲劇ではなく人類そのものの普遍的な悲劇として自己の体験を提示したかったからだろう、さらにジプシー(ロマ)や同性愛者や社会主義者などさまざまな人びとが収容所に入れられていた現実も踏まえられているのではないかと、池田氏は鋭い読みを示されています。

 

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