みすず書房

『シモーヌ・ヴェイユ選集』 III

後期論集:霊性・文明論 [全3巻完結]  冨原眞弓訳

2013.12.11

16歳のとき、師アランのもとで本格的に始まった哲学修業。「彼女は同輩たちの水準をはるかにこえていて、比較すらも不可能だった」とアランを驚かせた若き日のヴェイユのうちに蒔かれた種子は、たしかに実を結んだのだ。34年の短い生涯に――

最晩年のヴェイユが、奴隷がその魂にうける深い噛み傷について書くとき、それは頭のなかでこしらえた思索ではない。「ブルジョワ階層出身の哲学教授資格者」という枠をとびだし、一女工として働いた経験をとおして、みずからの魂の奥底に一生消えない刻印をうけたヴェイユ。そこから、労働の霊性、人間の悲惨についての堅固な思考が養われていった。

1940年、ナチス・ドイツ占領下のパリを逃れて、ヴェイユは、マルセイユから、亡命を望む人びとであふれかえるカサブランカ、兄の住むニューヨークを経由してドゴールの〈自由フランス〉の置かれるロンドンへ渡った。ドミニコ会士ペラン師との出会いをつうじてカトリックに急速に接近しながらも、洗礼はさいごまで拒み、不安定で焦燥にみちた日々でありながら、のこされた時間の少なさを知るかのように、驚くべき質と量の著作が生み出されていった。

無辜の人間になぜ苦しみが与えられるのか。神と人間とのあいだには気の遠くなるような隔たりがあるにもかかわらず、いかにして神の愛は実現するのか。純粋に形而上学的な問いであるかにみえるこうした問題、あるいはホメロスの叙事詩や13世紀のオック語文明の滅亡について書きながら、それらはやはり、頭のなかでこしらえた思索ではありえなかった。
ヴェイユはつねに、時代の諸相が突きつけてくる苦難の分け前をすすんで受けとりにいった。諸々の価値はその規準や序列を見失い、喪われようとしている。われわれにいまいちど生の息吹を吹き込み、蘇らせる新しい霊性とは? それは、第二次大戦期にナチス・ドイツに蹂躙されたフランス、といったことでなく、今日、時代と地域を異にする私たちのもとへも、〈わたしの問題〉としてまっすぐに届いてくるはずだ。

最晩年の論考から精選した未邦訳を含む〈霊性・文明論〉14篇を収めた本巻から、中期〈労働・革命〉、初期〈哲学修業〉と遡るとき、ヴェイユの思索が深化し、重層化されていった跡がくっきりと浮かび上がる。わずかなブレもない、一本の道。自身、苦しむことで購ってきた思索の充溢の道のり。