みすず書房

多木浩二『映像の歴史哲学』

今福龍太編

2013.06.25

「凡例」や「後記」を読んでいただければわかるように、本書は2003年8月および2004年7月にそれぞれ三日間にわたって行われた札幌大学夏期集中講義「映像文化論」の内容をもとにしている。今福龍太さんによる事前の打ち合わせや札幌大学の人たちの歓待が周到だったせいもあるのだろう、集中力と自由さと話の広がりと密度の深さとゆとりが同居した、とてもすばらしい講義だったようだ。多木浩二さんのご子息の多木陽介さんに「ふつう講義などを文字にしたら、くり返しが多かったり思った以上に密度がうすくなるのに、今回は全然ちがう」と伝えたところ、「父はそのまま文字になるように話すこともあったようです」と言っておられた。

しかし、このような密度の高い本に仕上がるまでには、じつはその後の大変な作業があった。当時の講義に出席していた今福ゼミ出身の後藤亨真さんが、計6日、おそらく50時間近くあったであろうビデオ映像を長い時間をかけて文字化し、それを今福・後藤のコンビで編集をくり返し、さらにみすず側で僕も加わって大幅なカットや入れ替えその他を行い、ほぼ仕上がりのかたちにした。今福・後藤の二人は、その途上で生前の多木浩二さんのご自宅に出向いて本書の企画意図を伝え、多木さんご自身もイメージを膨らませておられたらしい。

本書18-19頁(拡大)

本文だけでなく、下段にいれた注や写真類にも工夫をこらした。いわゆる固有名注のような啓蒙的な文言はいっさい省き、必要な注は多木さんの他の本からの引用のかたちで記すなど、ほぼすべて引用スタイルをとった。リーフェンシュタールの映画『オリンピア』のカット写真の一部などは、多木さんの話に相応するように、わざわざYou Tubeから該当箇所を取り出すなどの努力もしている。

結果として、多木浩二というひとりの思想家の「生きられた全貌」、その生きた思考の動きが再現されたのではないかと思っている。

刷り上った本を手にされた多木陽介さんからは「こうして本になってみると、その声が何か身体性を得たようで、ある生々しさをもって蘇って来ます。思いがけなく久しぶりに元気で知的活力にみなぎる父の存在をまざまざと感じて、言いようのない感情が湧いて来ました」という便りを本日受け取った。

今福龍太さん、後藤亨真さんの10年にわたる熱い思いとご尽力はむろん、当時の札幌大学で多木さんを迎えた人たちの歓待のありよう、校正刷段階で助言その他もいただいた陽介さんのお気持ちなど、本書は多くの人の愛によって支えられている。小著ではあるが、そこに盛られた内容の深さと広がりだけでなく、多方向からの視線がこの一冊に注がれている。